兎にも角にも、出来栄えや価値はともかく、どうにかこうにか論文を書き終えた。
やった!♪───O(≧∇≦)O────♪
とにかく顔文字で遊んでしまいたくなるほど喜んでいるし、ホッとしているし、肩の荷が降りて、どこまでも飛んでいけるぐらい心が軽い。
卵巣に不具合が見つかって手術をし、ほぼ同時に親父が倒れて要介護になり、介護生活の後に父を看取ってからというものずーーーーーーーーっと体調が悪かった。かなり後になって不調の原因がむずむず脚症候群だと分かり、おそらく自覚症状がしっかり現れる以前から発症していた可能性が高いと分かり・・・。はっきり言って5年ぶりぐらいにまともな論文が書けた気分だ。
何だかよくわからないけれど、絶対に体がおかしいってかなり前から思い続けていた。休んでも休んでも体から疲れが抜けない。卵巣に不具合が見つかってからは、きっとホルモンバランスが崩れていて、若年性更年期障害みたいなもの(?)なんだろうなと諦めていた。頭痛とか耳鳴りとか肩こりとかがひどかったし、のぼせとかはなかったけれど、ほぼ典型的な更年期障害の症状だったから。
でもこれって結局、睡眠障害で熟睡できていないから起きてた症状なんだよね、たぶん。だってむずむず脚症候群の治療をしたら、全ての症状がすっかりなくなったんだもの。一番びっくりしたのが、慢性的な疲労感が綺麗さっぱり無くなったこと! 運動とか仕事をした後に通常なら「心地よい疲労感」って普通あるじゃないですか。よほどの重労働やよっぽど嫌な仕事でない限りは。それが全く感じられなかったんだもの。ここ4~5 年ぐらいずーーーーーーーーーーっと何かをしても疲れて、何もしなくても疲れていた。
今回ばかりは、論文を書き終えた後にちゃんと「心地よい疲労感」と達成感があった。内容の良し悪しとか、どれだけ調べられたかとか、研究史における価値とかは完全に度外視して、とにかく書けたってことに喜んでいるし、感謝している。何に感謝したらいいかは置いておいて、とにかく喜びと感謝しかない。
プロスポーツの選手とかなら、ある程度の年齢になったら、引退って必ず訪れると思う。でも、研究って基本的に引退はない。認知症とかでもう調べ物とか執筆ができないなら、当然引退ってことにはなるけど、そうでない限りは定年退職=研究者として引退ではない。だから、理由がよくわからない不調のせいでここで研究をやめるって選択はどうしてもしたくなかった。他にやりたいこととか仕事とかが見つかっておしまいにすると決断できるならいいけれど。
とにかく、続けることもやめることもできるけど、他にやることが見つかったとかそういう前向きな形で区切りをつけたかった。なんだか、やりたいんだけどできないみたいな被害者ヅラをして研究から離れるのは、研究に対して失礼な気がして。そんな甘い気持ちでこの世界に入ったわけじゃないし。まあ今後どうなるか、どれだけいいテーマでどれだけいい論文が書けるかは分からない。けれどどうしようもないスランプと人生上のどん底期は過ぎたから、テーマ設定さえしっかりできれば、地味にコツコツと続けていける感じがする。
さてさて、余計なことばかり書いちゃった。今回の論文とも少し関わるので、先日高麗神社の例大祭に行ってきました。ここは毎年10月19日に獅子舞が奉納されている。記録が残る限りでは、江戸時代から続いているお祭りらしい。祭囃子を奏でながら、神社周辺を練り歩く「宮参り」という行事の後に、「雌獅子隠し」と呼ばれる獅子舞が広場で演じられて、その後神前で「願獅子」と呼ばれる演目が奉納される。

ほとんど動画で撮影してきたので、写真は数枚、しかもイマイチな写りものしかないけれど、一応ここにアップしておきます。箱みたいなものをかぶっているのは「ささらっ子」と呼ばれる演者の皆さんで、中身は男の子(!)です。雌獅子が隠れるお花という役回りで、ささらでギコギコと音を立てています。裃を着たおじさまがたと巫女装束の若い女性たちが笛を吹いています。他に獅子舞の先導をするひょっとこの面をかぶっている方や、行列を先導する棒使い、天狗(ニワトリの頭の被り物をつけている)、法螺貝を吹く方などもいて総勢40~50人ぐらいの規模ですね。スーツの上に氏子の半纏を着たおじいさまが大きな声で獅子舞に指示を出していたりして、地域の人たちが世代を超えて伝承してきたお祭であることがひしひしと伝わってくる。

この高麗神社は日本だけでなく東アジア古代史的に見て非常に面白い場所だ。日本史に限って言うなら、中世史ぐらいまでのスパンで見ても独特の(絶妙な)立ち位置をとってきた集団だと思う。そもそもの発端が、716年に日本のあちこちにいた在日高句麗人を現在高麗神社があるあたり(現在の日高市界隈)に集めてきて「高麗郡」を建てたことに始まる。そういうわけで、今年は建郡1300周年記念(!)の年にあたり、高麗郡建郡1300年記念行事が市をあげて行われている。車で走っているとあちこちに1300年記念行事ののぼりがはためいている。
高麗神社の祭神は高句麗の王族で(おそらく)666年に日本に使節としてやってきた若光(じゃっこう)さんで、この人は『続日本紀』に名前があるので実在していたと考えてさしつかえない(歴史学的な厳密さを追求すると色々あるけど)。で、高麗郡を作りますってなった時に朝廷からリーダーに指名されたらしい。この辺りは『続日本紀』には記録がないので、あくまで神社側の伝承と系図(高麗氏系図)によるけれど。若光さんの家系は代々高麗氏を名乗って現代まで脈々と続いていて、現在高麗神社の宮司さんを勤めている。
つまり
「我々の祖先は716年にここに移住してきた高句麗人です!」
と1300年間名乗り続けて今に至っているわけだ。
すごい!(@@)
とはいえ、実際はどうだったんでしょう? 現代に当てはめるならば、在日コリアンの皆さんをかき集めてきて「朝鮮県」を作るようなもので、好き好んでこの辺鄙な武蔵国に移住したわけではなかったんじゃないか? だって当時の武蔵国なんて未開の地だよ? 北海道開拓団的なノリでここに連れてこられた可能性が高いと思う。『万葉集』なんかで詠まれている武蔵国って「丈の高い草が生い茂る草原であなたの姿が見えません」みたいな内容だもの。もちろん歌枕的な定型句だろうけど、どうしようもないど田舎でしょう。
当時の都は奈良の平城京(710)で、福島県のあたりはもう蝦夷地。つまり当時「エミシ」と呼ばれていた化外の民が住んでいた地域。大和朝廷の支配下の北限一歩手前ぐらいな立地。開拓した土地はくれてやるみたいなことを言われて、ある種の開拓団として厄介払いされたんじゃないか。残念ながら記録があるわけではないし、実情に迫れそうな大量の木簡とかも出土してないから、真相は闇の中ですが。
祭囃子が典型的なアップテンポのリズムではなくて短調でちょっと悲しげな旋律だったので、なんとなく古代高句麗人の苦難を想像してしまった。獅子舞はかなり激しく舞っているのに、旋律は本当に高くて透き通るような音色だった。youtubeにいくつか映像があるみたいなので、ぜひ探して見て(聞いて)欲しい。これがお祭? と思うぐらいおとなしめな曲調です。
佳子