先日、都内某所で行なわれたワークショップに参加してきた。
それはオルゴナイトを作ってみようという、いわばスピリチュアル系のワークショップだった。私はここで西洋占星術の記事なんかを書いているとおり、いわゆる西洋のオカルティズムには目がない。とはいっても、たいていタロットに関する文献を読んだり、西洋占星術の文献を読んだりと、文献を読む方がメインだ。あ、ホロスコープは実際に作って解読しているか。タロットも扱えるわ。そういえば易もできるわ、一応。アハハハハ、よくよく考えると私もけっこう占いマニアだよね(←今頃気づくなよ)
錬金術だとかキリスト教グノーシス派なんかにも興味は尽きない。まあ、『ダヴィンチ・コード』の世界なんかはまさにドンぴしゃなんだけど、実はしっかり読んではいなかったりする。いや、その、もっとディープなものを読んでいたりします(^^;
興味はあるんだけど、体験型のイベント、ワークショップ系に参加したことってほとんどない。それは・・・いわゆる霊感と呼ばれるものとか、気を読んだりする能力とかが私には決定的に欠けているからだ。だからそういうイベントにまぎれても意味はないだろうと高を括っていた。ちなみに、今でも高を括っていたりする。だって幽霊とか全く見えないもん!
あ、でも直感的に「なんかここ雰囲気違う」とかは感じることもある。以前、房総半島の突端にある安房神社に行ったときにすごく感じた。しめ縄の張られた岩がお社の斜め前に鎮座していたんだけど、不用意に近づいてはいけないような気がした。というか、何だか神社全体が「不真面目な動機で近づくなオーラ」を醸し出していた。
で、境内の隅にある解説を読んだら・・・境内の下にあった海岸洞窟から縄文土器や土師器とともに人骨が大量に出土したという。きっと古代にこの土地を開拓したという伝説が残っている安房忌部氏の埋葬地だったんだろうと書いてあった。事の真相なんて分からないけれど、要するに偉い人たちのお墓の上に神社を建てたのかも。
閑話休題。幽霊は見えませんし、気を感じたり、オーラを見たり出来ない私でも、物を作るんだったら楽しめるんじゃないか、パワーストーンとか大好きだし♪ってノリで参加してきました。オルゴナイトにはいろんな効能がありますって謳ってるけれど、私はそういう解説はど~でもいい。っていうかあまり信じていない。楽しく作れてインテリアオブジェとして見た目がきれいな物だったり、アクセサリーとしてカワイイ物だったりすればそれでいいんじゃないって程度にしか考えていません。アハハハハ。
スピリチュアルとかオカルティズムの思想体系だとか、考え方には興味があるんだけど、それを信じるのとは話が別。それが私の基本スタンス。だって宗教だとか思想って、結局世界を解釈するためのただのツール、道具だもの。カナヅチの使い方を学び、それを有効に使う人はいても、カナヅチを信じる人はいるまい。理解して利用はするけど、頭のてっぺんまでその考えには浸からない。理解した上で、距離をとる。そうしないと様々な見方ができずに視野が狭くなっていってしまう。
信じてもいいかなというか、そういう考え方ならある程度賛同できるかもって思うのは、禅の思想かなあ。禅って基本的に教義と呼べるものはないし。人から与えられた知識ではなく、自分が得た悟りが重要っていうスタンスだし。人の考え方にのっとって考えているのは、本当に考えていることにはならんのだ。本当にそう思う。考えるのが面倒だからとりあえず信じておくって人も世の中多いんじゃないかなあ。宗教なんて結局は惰性の産物。人間の精神を蝕む薬物のようなもんよ。
イスラム国なんかも、信心深い人がいる一方で、一部ではそういう人も絶対いると思う。北大生が渡航しようとして話題になっていて、日本とは違うフィクションに身を投じてみたかったという主旨の発言をしているらしいけど、これも同類じゃん。自分の頭で考えて自分の居場所を見つけるのが面倒だから、イスラム国に参加しようとしたわけでしょ。
もちろん、イスラム国以上に魅力的な居場所が日本のどこにも見つからないっていう現状が、かなりやばいことなんだけど。色々な立場の人が参加できる魅力的な場がいくつもある世の中を作るのは、政治の責任であり、ひいては有権者の責任だと思う。とはいえ、じゃあ具体的に何が出来るのかっていうと、すっごくむずかしい! 「気楽に行こうよ」って言ってあげられる余裕を、今の世の中誰もが持ち合わせていない。そこがたぶんいけないんだろうとは思うんだけど。
あれ? タイトルと内容がずいぶん乖離したなあ。