さてさて、実家がある程度正常化して遺品の整理だの手続きだのも一段落したところでブログの方も正常化していきたいと思います!
で、相変わらず「ダイ大の謎」改め「バランの謎」なんですが、彼は一体どういう生い立ちだったんでしょうか? あの奇跡の泉でソアラと出会ったシーン、バランの第一声というかそれに該当する心中思惟が
「に・・・人間の・・・娘・・・?」
ってなっているんですよ。そんなに人間と接触経験がなかったんでしょうかね?
まあ、考えられる可能性としては
①そもそも人間との接触経験が少ない
②人間の女性との接触経験が少ない
③魔界から帰還して初めて会った人間がソアラだった
④一瞬、魔族の女性かと思ったが「いや、ここは地上だから人間か・・・」と思い直した
ってところでしょうか。魔界から帰還していることと、魔族にも男女の別があることを考えると③と④が複合的理由として妥当かな。それにしても 色々な意味で引っかかる表現 なんですよね。「人間?」でもなく「女?」でもなく「人間の娘?」ってところが。魔界では魔族の女性とそれなりにコミュニケーションしていたんだろうか?
戦うことがお仕事ですし、戦場は基本的に男性が多くを占めていますから、人間魔族の別を問わず女性との接触経験がそれほどないという可能性は高そうです。う~ん。もしかして育ての親って養父しかいなかったんだろうか。何となくなんですが、バランを育てた「お母さん」的存在って想像がつかない んですよね。「母不在」なイメージ がある。もちろん乳兄弟にお姉さんとか妹とかもいないか、いても関わりが薄そう。彼と情緒面で深い関わりを持った女性って、ソアラが最初で最後なんじゃないかなあ。
こういう部分は非常にヒュンケルと似ている気がする。彼も養父しかいないし、バルトスさんの死後はアバン先生が世話をしていた訳で、やっぱり「母不在」の状況で育ってきた人。実は母不在の状況で育っているという点ではダイも同じなんだけど、バランやヒュンケルとダイの間には(年齢差に伴う経験の差もあるのかも知れないけれど)決定的な違いを感じるんですよ。ダイに比べると「母親的」な存在に絶対的に受け入れられた経験が希薄というか・・・。おそらくブラスさんが父親役と母親役の両方をうまくこなしてダイを育てたというその一言に尽きるんでしょうけど。
奇しくもヒュンケルはマアムのことを「聖母」 って呼んじゃっていますけど、あの場面ってヒュンケルが「自分の存在は受け入れられているんだ」ということに初めて気づいたってことを物語っているんじゃないかと思うんです。長年の勘違いから多くの人を傷つけて、結果としてダイに打ち負かされた訳ですけど、そういう自分でさえここに存在していることを受け入れられているんだと。この経験があったからこそ、罪を認めてレオナの前に名乗り出たのではないか。それにしても・・・アッサリとマアムに飛びつかなかったところが絶妙だな。その点はバランとは一線を画して・・・
あっ、あれっ(@o@)!!!
何でヒュンケル論になっているんだ!!?
ここはバラン論を語り尽くす場なんだからっ!!
出て行け!!!
(↑ヒドい)
ゼエゼエ・・・、失礼しました 。結局、ヒュンケルの場合は人間として人間に対する仲間意識を持てたから何とか救われている部分はあると思うんですが・・・バランは立場的にも心情的にも非常に難しい。人間に対する仲間意識なんてアルキード事件以降急降下の末消滅したでしょうしね。強大な力を持つ魔族と龍族は討伐対象になることがほとんどでしょうし、帰属意識的なものも含めた「居場所」って誰からも提供されずに自分自身で作っていくしかない。キッツいなあ。「いつでも帰っておいで!」って言ってくれる養親なり乳兄弟もいなかったんだろうな・・・。
バランの存在だとか彼の所行を受け入れたり、裁いたりできるのはマザードラゴンのように神または神の眷属に等しい存在しかいませんよね――バラン本人を除いたら。これは人間だって同じようなものではありますけど。まあバランの場合、ヒュンケルよりは腹が据わっていそう。きっと多くの人間を殺したことも自分が命を落としたことも後悔していないんだろうな。善し悪しを判断するのは神様であって、とにかく使命は果たし終えた んだから。
バランの心情って作品中バラン自身の一人称で語られることが少ないんですよね。ダイの見る夢とか幻はダイ自身の願望が投影されている可能性があるから、若干さっ引いて考えるべきだろうし。仮にバーン戦後に生き残っていたとしても、人間から理解されることも受け入れられることも拒絶していそう。今までそうだったように人間社会とは没交渉で生きていくんだろうな。
了子