〈追悼 おとん〉姉妹対談・そりゃあないよ!!!①

了子:さてさてさて。非常に遅ればせながら追悼対談です! 色々な意味で「そりゃあないよ!!!」なのでこういうタイトルになりました。

佳子:いや、そこからして「そりゃあないよ!!!」でしょう。

了子:だってさあ。まだ忌中なんだよ。死後25日しか経っていなくて、おやじは三途の川を渡りきっていないことになっているんだよ!? それにもかかわらず、おかんと弟は連れだって温泉に行っちゃったじゃん!!!

佳子:いや、あれはきっと凹んでいるおかんの気を少しでも紛らわせてやろうというヤツなりの気遣いなんだよ(たぶん)。

了子:う~ん・・・もし私たちも同行したらおやじの霊前に昼ご飯を用意できなかったんだよ? それなのに「私たちは待っている」と言ったら何だか二人とも「チェッ」て感じだったし。全く、何考えているんだか。

佳子:まあ、いいじゃん。お陰で私たちはおやじと一緒にチャーハンを食べて(←佳子手製)こっそり「追悼対談」を書いている訳なんだから。それに、おやじが急変する以前から予定に入っていた旅行だし。

了子:ま、そういえばそうだったよね。4月7日から5月5日ぐらいまでの間は年と月の方位版が一致するか何かで、吉方位に行くと非常に効果的ってやつでしょ?

佳子:そうそう。4月8日と、17日と26日に5月5日が該当する。私も8日に南方向に出かけようとしていたんだけど、あいにく真冬日で雨という状況だったので断念した。ここから南というとちょうど南房総の方だから、父の産土神にお参りして病気平癒のご祈祷をあげてもらう予定だったんだけどねえ・・・。

了子:その日そこに行けなかった時点で、おやじの死は確定していたようなもんだね。神様から招かれなかったんだよ、きっと。無駄な努力はするなって。

佳子:今から考えるとその可能性は高そうな気がする・・・。以前、母が吉方位だから宮城の塩竃神社に出かけたんだよね。そうしたら、偶然お祭りの日だった。帰ってきた翌日が東日本大震災だったというおまけ付き。壊れる前においでって呼んでくれたに違いないって言ってたわ。

了子:そんなもんだよ、タイミング的に合わないものは必要がないってこと。

佳子:そうはいってもねえ。色々タイミングというか間が悪いことが重なったんだけど。

了子:総合的に考えれば、必ずしもそうとは言えないんじゃないかな?

佳子:え? どのあたりが?

了子:まず、佳子が新年度早々に教団に戻るという選択を断念した直後だった。これってやっぱり、もう少し休んどけっていうオヤジの気遣いだと思う。

佳子:ちょっと! 教団じゃなくて教壇でしょ。何か宗教にはまりすぎた怪しい人みたいだわ

了子同じようなもんじゃん? 生徒に対してろくでもない・実社会で必ずしも役に立つとは限らないことを教えて、その知識がどれぐらい身についたか試験を課して序列をつけるわけでしょ?

佳子:ぐうの音も出ない・・・すいません。その通りです。

了子:介護疲れも抜けきらないうちに、あれこれ動き出さなくてもいいじゃん。

佳子:抜けきらないのは私ばかりじゃないと思うんだけど。

了子:おかんの場合、わざとあれこれやることで、喪失感をごまかしているふしがあるよね。

佳子:それはそれで本人の自由だけどさあ、私を巻き込まないでよと言いたい。

了子:そうだよね。お陰で私たちの追悼対談も執筆機会が今までになかった。連休前半は草むしり・庭木の剪定・父の遺品整理で終わっちゃった。

佳子:ゆっくり思い出に浸って追悼して、心の整理をつける時間が私は欲しい。そのためには独りになれる時間と空間が必要なんだけれど。

了子:それって難しいよね。おかんが家にいる限りは。だって、おかんが佳子の部屋で寝てるじゃん

佳子:そうなのよ。遺骨と同じフロアで寝たくないとかほざいて、私の部屋に布団を持ち込んでいるorz おとんに続いて、おかんまで子どもみたいになっちゃった(笑)

了子:まあ、家で一番霊感の類は持ち合わせているからね。葬儀の翌日以降2回ぐらいおとんの呼び声を聞いたらしいじゃん

佳子:私にはさっぱり聞こえなかったんだけど。でも、いいタイミングで反応してお茶を出したりしているって。だからおかんから「聞こえているものだと思っていた」なんて言われちゃった

了子:あはははは。聞こえているのに無視するおかんと、聞こえていないのに反応する佳子って訳なんだ。

佳子:聞こえて自覚できるなら、それを無視することはできる。でも、自覚がないと無意識に反応しちゃうんだろうね。それにしても、いつまでこちら側にいるのかしら?

了子:満足するまでじゃないかな。見届けたいことが残っているから、こちら側にいるんでしょう。

佳子:まあ、向こうに行きたいのに行けなくて苦しんでいるというわけでないなら、ご自由にって感じだね。一応型どおり、四十九日・新盆・一周忌・三回忌とお経を上げてもらうけど、これは追悼する側の自己満足でしょから。

了子:うんうん。立派なお葬式したりでかいお墓を作ったりするのって、結局弔う側の見栄とかエゴだよね。あと、立派な戒名とか。たぶん見送る側の自己満足に過ぎないんじゃないか。マアムがバランの死亡直後に言った言葉は正しいと思う

〈つづく〉