第5章 長い長いドラゴンの話(1)

「ほら! もっと気合を入れて打ちかかったらどうなんだい。そんなもんじゃないだろう? 本気を出したら もっと力が出るはずだ」
シスレイン――アーロンの配偶にあたるメス龍から容赦ない声がかけられる。
別に自ら望んで剣の稽古を申し入れた訳ではない。
だがどういう訳か、魔法が使えるようになりたいと相談したら、まずは剣の修行からだと言われて稽古が始まってしまった。

「心配なんかしなくたって、そのなまくらな鋼製の剣なんかじゃ、私らの皮膚は切れないよ。もっと思いっきり切りかかって来い!」

そうは言っても、こちらとしてはそこそこの力で応戦しているつもりだった。
飛び上がり、全体重を刃にかけるようにして、シスレインの腕に打ちかかる。
それでも、龍の皮膚は鋼鉄のように硬く、皮膚に刃先がめり込むことさえなく跳ね返される。さらに、見かけ通りシスレインは相当な腕力の持ち主だった。
彼女が右手を薙ぎ払うと、私の体は軽々と宙を舞った。むろん、私はその力をうまく利用して宙返りをし、地面に着地した。

シスレイン相手に剣だけで「勝てる」戦い方をするのはかなり難しい。仮に相手が「知恵なき龍」で私に対する殺意があるなら、素早さで相手を撹乱して、疲労したところで地味に攻撃をしていけば勝機はある。
しかし、そもそも何を目的にシスレインが剣の稽古を始めたのかが見えない状況では、こちらとしても出方を決められない。何を求められているのかがわからない。

「全くどうしようもない奴だね。本気でやらないなら、あたしがあんたの命をもらうよ」
かなりのスピードで右ストレートが飛んできたのを、かろうじてかわす。着地したところに飛んできた左フックをかわし、ジャンプしてシスレインの鼻先に攻撃を見舞う。しかしあっさり右腕で攻撃を止められ、背後に吹き飛ばされた。

せめて多少魔法が使えるか、はがねの剣よりも強力な武器がないと太刀打ちできそうにない。どうにか着地をして、態勢を整えようとしたところに頭上から拳が振り下ろされる。間一髪でかわし、間合いを詰めようと踏み込んだところで左ストレートが直撃した。

「のわああっっっ!」
体の前で腕をクロスさせ、腹部への直撃は免れたが、体は背後に吹き飛び、背中で着地することになった。

「情けないね! たかが龍一匹に苦戦するとは、龍の騎士の名折れじゃないか!! さっさと立ちな。さもないとぺしゃんこにしてやる」
その言葉には冗談とは思えない凄みがあったし、何より見かけによらずシスレインは素早い。うかうかしていると本当に潰されて圧死しかねない。
私は立ち上がってシスレインの間合いから離れた。

完全に防戦一方だ。本当に龍退治をするなら、やはり魔法が使えるか、魔法が使える仲間を含む複数人で挑まないと勝ち目はなかっただろう。とにかく考えている暇はない。次から次に飛んでくる攻撃をかわしつつ、どうにか相手にも打撃を与えるか消耗させるように仕向けなければならないのだが、こちらの攻撃方法は剣を使うか素手かの二択のみ。

硬い鱗がない首の下から腹部を狙うか、顔面――目や鼻を狙うしかないが、いずれを攻撃するにしても、相手の間合いに飛び込まねばならない。魔法も飛び道具もない状態ではほぼ手詰まりと言っても過言ではない。何しろ、向こうは硬い鱗で防御力は高いし火を吹いて攻撃できるし、いざとなれば飛ぶことも可能なのだ。

「あたしにどう勝とうか考えているうちはあんたに勝機はないよ。考えてる暇があったら全力で体を動かしな!」

そう言いつつ、あっという間にシスレインが間合いを詰めてきた。振り下ろされた右手をかわし、平手打ちしようと飛んできた左手に飛び乗って足がかりとし、左目を狙ってジャンプする。こちらの攻撃は完全に見切られており、シスレインは鼻先を私の脇腹に思いっきりぶつけてきた。

むろんこちらもそれは織り込み済みだ。左手と左脚の間あたりに着地して、脇の下あたりの鱗がない場所をめがけて剣を突きつける。が、不意に頭上から何かが叩きつけられ直後に茂みの方まで吹き飛ばされた。起き上がると、シスレインが大きくしっぽを振っている。

そう、事実上手が3つあるようなものなのだ。人間が想像している以上に、龍はしっぽを器用に使うし、器用に使えるだけの柔軟性や機能性を持っている。立ち上がって剣を構え、今度は私から間合いを詰める。

「フン! 根性だけは立派じゃないか。その調子だ、どんどん攻撃して来な!」

「うおおおおおおお!!!」

全力で助走し、三角飛びの要領でシスレインの左腕を蹴り、耳をめがけて剣を振り下ろす。しかし、剣が触れるのとほぼ同時に左の裏拳が私の足先をかすめていき、上体のバランスが崩れてしまった。

「くっっっ!」

着地する直前に右手平手打ちがまともに決まってしまい、私の体はまた茂みの中まで吹き飛んでしまった。

「さっさと出てこないと、茂みごと燃やしちまうよ」

またシスレインの脅しではすまなそうな言葉が飛んでくる。
このままでは埒があかない。だがどんな手があるだろう? そもそもシスレインは何を狙って実戦形式の修行をはじめたんだ?

とにかく立ち上がって茂みを飛び出し、剣を構える。シスレインはこちらを一瞥すると「フン」と鼻から鼻息とともに火を吹き出した。

なんとはなしに、既視感を覚える。

かつて龍と戦った経験もないし、龍に剣の稽古をつけてもらった経験もない。
だが、はるか遠い昔にこんな経験をしたような、うすぼんやりとした記憶、いや記憶とさえ呼べないような何かが脳裏をよぎるような感じがした。

「そうだ。それでいい。体を使えば、体が思い出す。龍の騎士の血がお前を勝手に戦わせるだろうよ」

私はコクリとうなづいた。シスレインの言葉に嘘はない。そう直感した。
剣を構え、走り出す。
頭上から飛んでくる左右の手をかわし、右肩を蹴って首の上に飛び乗る。振り落とされないようにさらにジャンプして眉間のあたりに剣を振り下ろす。だが剣はまったく食い込まずに「カキン」という音を立てて跳ね返された。私はシスレインの右手側に着地した。

「少しはマシになって来たじゃないか」

「しかし、この剣ではお前たち相手にまったく歯が立たないな」

褒められはしたものの、シスレインにはさっぱりダメージを与えられていない。

「剣なんてものは、どんなものを使ったって大して変わりはないさ。おそらく今のうちはね。剣というものはそれを使って攻撃しているうちは性能の問題ではないんだよ。自分の体に合っていて、手入れされていて使い慣れているかどうかだけが問題だ。本当に剣そのものの性能や材質が重要になってくるのは、それ以降さ」

「それ以降?」

初めは剣を言い訳にするなと説教されるのかと思いきや、意外なことをシスレインが話し出したので、私はつい攻撃の手を休めて聞き返した。
そもそも、なんで龍が剣の材質だとか性能の話にくわしいんだ?

「そうさ。剣そのものの性能だとか、剣の腕だけで戦うやつはたとえどんなに強かろうと二流だ。本当に強い者は闘気を自在に操る。その際に闘気を収束させるための道具として剣を使うのさ。むろん、剣を必要とせずに闘気のみを放出して攻撃できる者もいる。こんなふうにね」

そういうとシスレインは左手を挙げて勢いよく前方に何かを放り投げた。
何を投げたのかはよく見えなかったが、前方に生えていた一本の木がメリメリと音を立てて倒れてきた。

「何を投げたんだ?」

「投げたというより、闘気を木の幹にぶつけたのさ。お前はまだ闘気を十分にコントロールできないからとりあえずは剣圧を高めるつもりで剣の稽古をする方が何かと早道だろう」

そうは言われても、それが魔法習得とどう関わるのか話が見えない。
「それが、魔法の習得に関わってくるのか?」

「そういうことだ。人間にしても、魔族にしても、闘気と魔法力は別系統の力として肉体の中で機能している。しかし、我々龍は違う。闘気と魔法力がはっきりとは区分けされない渾然一体となった状態で体内に存在している。肉体面では、我々に近い龍の騎士もその点は似ているんだよ。だから、闘気のコントロールが可能になるのと魔法の発動はほぼ時を同じくして起こるはずだ。現時点で比較的得意な方から取り組むのが妥当だろうと思うが、そう急ぐ必要もないだろうに」

次から次へと初耳なことばかり並べたてられて、正直私は理解が追いつかなかった。
闘気を操るだって!?
もちろん言葉ぐらいは耳にしたことがある。だが、それは雰囲気とか気配のようなもので、意図的に利用することはおろか、操るなど到底不可能なものだと思っていた。
それに、龍は闘気と魔法力に区分けがなく、それは私も同じと言われても実感がさっぱりわかなかった。
だいぶ慣れてはきたものの、いまだに自分が人間ではないものとして扱われることに対しては抵抗がある。

それはそうと、闘気と魔法力が未分化とは詰まるところどういうことを意味するのだろう?
どういう利点があってそういう構造になっているんだ?

「闘気と魔法力がセットになってて、闘気が使えるようにならなければ魔法が使えないというのは理解できた。だが、なぜそのような構造になっているのだ?」

私の問いにシスレインはやや困ったような表情を浮かべたが、ため息を1つつくと肩をすくめて話し出した。

「そりゃあ神様にでも聞いて見なけりゃわからん。だけどあくまで仮説ということで、私の考えを言っておくよ。龍、魔族、人間の三種族のうち、もっとも早くに誕生した種族が龍だと言われている。つまり、魔族にしても人間にしても闘気と魔法力を分化した上で、どちらか一方を鍛えることで龍に対抗しようとしたんだろう。だが未分化の状態で使える龍族は、一撃あたりの力の放出量が多いというメリットがある」

「ところで、龍は魔法が使えるのか?」

人間にも魔法を使える者と使えない者がいるが、龍の場合はどうなるのだろうと不思議だった。むろんモンスターによっては生まれつき特定の呪文を使える種もいる。そう考えると、龍にも種によって生来使える呪文などがあるのではないか?

「龍によるね。特に我々のようなしゃべる龍の場合、個龍差が大きい。闘気の扱いに長けていて、そこそこの呪文を使いこなせる者もいる。ウチの群ではアーロンが回復呪文と補助呪文の一部を使えるのと、あたしの従姉妹に2龍ほど真空系呪文と爆裂系呪文の使い手がいるね。あたしは魔法はからきしダメだよ。主に戦う時は肉弾戦だ。しゃべらんやつらのことはよく分からんが、種によっては使えるだろう」

「戦う? 龍同士で戦闘になることがあるのか?」

人間以上に賢そうな龍たちでも、やはり争いは起こるのだろうか?

「我々しゃべる龍同士ではそうそう起こることじゃないね。基本的に揉め事が起きた時は議論を尽くして解決する決まりになっている」

「じゃあ、一体」

「最近はしゃべらないヤツらとの生活圏争いが多くなったが、一昔前は人間とよくやりあった。雌雄合同の群になる以前は、あたしがメス群の族長を務めていたからね。卵を盗み出そうとする人間を見つけては、叩き潰して消し炭にしてやった」

まるでその当時を思い出しているかのように、シスレインは「フン」と音を立てて鼻から勢いよく火を吹いた。
どうりで私と器用に戦っていたわけだ。人間サイズの敵とはかなり戦い慣れているし、人間が打ちそうな手はお見通しだったのだ。

「で、どうするんだい?まだ続けるつもりか?」

「ああ。無論だ」

シスレインの問いかけに、私は二つ返事でうなづいた。
今のところ、自分よりも格上の相手はルギウス師匠を除くとしゃべる龍以外にはいないのだ。剣の腕を上げて闘気を使いこなせるようになるためには彼らに相手になってもらうことが手っ取り早い。

「やれやれ。しょうがないねえ。どの道放っておけば闘気にしても魔法にしても使いこなせるようになるというのに」
あきれたと言わんばかりに大きなため息をついて、シスレインが構えの姿勢をとる。

「いずれ使いこなせるようになると言うのなら、今のうちに訓練しておいたって損ではあるまい?」
なぜあきれられなければならないのか。私はいささか心外な心持ちでシスレインに問いかけた。戦うということがこの地上に産み落とされた目的なら、少しでも早く腕を上げるに越したことはないと思うのだが。

「変な子だね。必要な時に必要なことが起きるものさ。あらかじめ強くなっておく必要なんかこれっぽっちもないじゃないか。どうせ戦いばかりでうんざりするような時期が嫌でもやってくるんだ。今のうちにとことん遊び倒しておけばいいものを」

「そうは言っても、鍛錬をして自分の力を高めておくことは戦士として大切なことではないか」

私が抗議すると、シスレインは構えの姿勢を解いて右手の人差し指を上に向けた。

「いんや、あたしはそうは思わないね。お前は、お腹が空くといけないから、今のうちに三日分の食事をしておこうと考えるかい? いずれ年をとるんだから、今のうちに年をとっておこうとするかい?」

 ずいぶん見当外れな質問が飛んできたので、私も思わず構えを解いた。
「それは、思っていたって無理というものだ。それに、それとこれではまったく話が別ではないか? 将来のためにできることを今のうちにやっておくことは無駄にはならないだろう」

「まったく、こういうところだけは人間くさいんだね。あたしにゃあんたのやっていることは明日の分まで眠ろうとしているのと大差なく見える。人間どもはよく『今のうちに』という。だがそれは言葉とは裏腹に『今』をないがしろにしてしまうのさ。いつ来るかも分からない機会のために、あるいは決してこない将来のために『今』を無駄にしている。馬鹿らしいとしか言えないね」
彼女はそう言い切ると、両手を天に向けて肩をすくめた。

果たしてそうだろうか? 冬が来る前に冬の分の食糧を確保する。それが人間の営みだ。季節ごとに居住地を変える龍とは違って、人間は基本的に住む場所を動かない。それがいいとか悪いではなく、人間には人間なりのやり方がある。

「馬鹿らしければそれでも構わない。悪いが、相手を頼む」
そう返事をして剣を構え直すと、不意に周囲が暗くなった。

「おい! 何をやっているんだ!?」
慌てたような声が頭上から降ってきた。
「早まるな、バラン!!」
私の右手と左手にそれぞれ龍が一頭ずつ着地した。

たぶん、どちらかがラルフでどちらかがロルフのはずだ。

「とにかく謝っておけ。シスレインは群で一番年寄りだが、一番強くて恐いんだ。いくら何でも分が悪すぎる」
「そうだ、そうだ。族長だってなんで怒られているのか分からなくても、とりあえず謝っておくんだと言っていたぐらいなんだ!」
どうやら二龍ともに大きく勘違いをしているらしい。私とシスレインが本気でやり合っていると思っているようだった。
「これっ!! ロルフ! お前、余計なことをあれこれ言うんじゃないよ!」
私の左側、つまりシスレインから見ると右手にいる龍が頭を思いっきり拳で叩かれている。

――ドスン!!!

それなりの力で打ちおろされた拳がまともに入ったせいで、ロルフはあごを地面に打ち付けた。
「いって~!!」
そう言いながら頭を押さえているところを見ると、地面に打ち付けられるより、シスレインの拳の方がよっぽどダメージが大きかったのだろう。

それにしても、私はあれで相当手加減をされていたようだ。

視線をシスレインに移すと、「フン!」と言いながら鼻から火を吹いている。
私の視線に気づいたらしく、何やら鋭い視線をこちらに向けてくる。
何だかよく分からないが、私は何か睨まれるような振る舞いをしたらしい。

「だから言ったろ。シスレインにはかなわない。とにかく逃げるんだ」
叩かれなかった方、つまりラルフと思われる龍がしきりに私の方へ手を振ってくる。恐らく、逃げろと言う意味なのだろう。
「別に本気で戦っていたわけではない。剣の稽古を付けてもらっていただけだ」
私は二龍があまりに真剣に逃げるように説得してくるので、あきれるのを通り越しておかしくなってきた。
「はあ? ケイコ? なんなんだそれは?」
おそらく龍には稽古をするようなことが存在しないのだろう。ラルフには稽古の意味が分からないらしい。

「と、とにかく、痛い目にあいたくなかったらやめておくんだ」
もぞもぞと地面から起き上がりながら、ロルフが頭を左右に振りながら説得してくる。
「うるさい子たちだね! あんたらは邪魔だから本隊の方へお行き」
本隊とはおそらく魔の森に待機している群を指すのだろう。

「いくら何でも騎士を殺害するような協約違反はしないでくれよ」
「何はともあれ族長に伝えてくるからな」
ラルフがシスレインに、ロルフが私に言葉を残して西の方へと飛び去っていった。

二龍の勝手な思い込みと、私の方の知識不足で何が何だか分からないことを言い合って、結局話がかみ合わないままだった。
私は、先ほどどさくさにまぎれて群で一番年寄りと言われたシスレインのことが気になった。
あの、翼龍の凶暴そうなイメージとは裏腹な落ち着きを見せるアーロンよりも、このメス龍の方が年配ということにいささか驚いたのだ。
巨体に見合わぬ素早い動きと、子どもとは言えオス龍を拳の一撃で黙らせてしまう腕力は老境にある龍とは思えない。

「シスレイン、あんたは一体いくつなんだ?」
私は何の気なしに率直にシスレインの年齢を尋ねた。
シスレインは一瞬目を見開くと、鋭い眼光でこちらを睨み付けてきた。
何かまずいことでも言ったんだろうか?
「ふん! お前はガキだから教えておいてやる! いいかい、メスに年齢を聞いてはいけない!」
「えっ!? 何でなんだ?」
「とにかく!! メスに対して年齢を尋ねることは無礼に当たる。よく覚えておきな!!!」
「わ、わかった。覚えておく」
すごい剣幕だったので、私はそれ以上他に色々なことを尋ねることを諦めた。


〈筆者コメント〉

シスレイン姐さんだったら、龍魔人バランも素手でたたきつぶせてしまうような気がします。・・・蚊を潰すよりも簡単に。


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