第4章 再訪(2)

 ――そう、はじめのうちは異変に気づかなかった。ただ、狩りに出ていて少し長めに小屋を空けているだけだと思っていたのだ。

「また、戻ってくれば再会できると思っていた。だから・・・全く何も言わずに出てきたんだ。育ててもらった礼だとか、迷惑かけて悪かったとか・・・本当に何も言えなかった。言うべき事を言わずに終わってしまった」

「親が死ぬときだってそんなもんだよ。そういうことは言えずに終わっちまうもんさ。でも、死んだと決まったわけではないだろう? そこまで落胆することもないでしょうに」

 オーランドの生存をヘドウィックが信じていることに、私はむしろ意外な感じがした。何となく、私には変な予感のようなものがあるのだ。もう、オーランドはこの世の人ではないのではないか。それは、私だけが感じたことではない。誰もそれとは明確に口にはしなかったが、山人ばかりではなく、フォーレスの谷の人間も同じことを考えていた。

「それに・・・聞いておきたいこともあった。でも・・・それは聞けなかっただろうな。オーランドがいなくなったからこそ分かったことだったから」
 そう、いなくなったからこそ思い返すことができたのだ。そもそも、なぜ私を引き取ったのか? なぜエレミアとの連絡を絶つような形で私を谷から連れだしたのか。どういういきさつでなぜ山暮らしを始めたのか。

 でも、きっと尋ねたからといってすんなりと答えが返ってくるようなものでもなかっただろうと思う。「知らん」とか「特に何も考えていなかった」だの「忘れた」だのと煙に巻かれ、しつこく聞こうものなら「うるさい!」とか「てめえで勝手に考えろ」と一蹴されて終わっただろう。

「「そうか、そういうものなんだ」」
不意にヘドウィックの背後にいた二頭の若いオス龍がそろって声を上げた。ヘドウィックの双子の息子で、どちらかがラルフ、どちらかがロルフという名前だったはずだ。だが二頭とも見た目はそっくりだし声も似ているので、私には全く区別がつかなかった。

「じゃあ、今のうちに聞いておこうぜ」
オス龍の一方がそう言うとしっぽを小刻みに左右に振った。

「聞いておく? 一体何を聞いておくんだよ?」

「そんなの決まっているじゃないか。何を好きこのんでルーサーみたいなオス龍を配偶に選んだのか、聞いておきたいと思わないか?」
そう言うとそのオス龍はしっぽを激しく左右に振って飛び上がった。

「ああ。確かにそうだ」
言われた方のオス龍もしっぽを左右に振りながら2回ほど飛び跳ねる。

「なあ、ヘドウィック。なんであんな変なヤツを配偶にしたんだ?」
「そうだそうだ。一体どこが気に入ったんだ? 他にもっとマシなオス龍がいただろうに」

 息子たち二頭の不躾な問いに、ヘドウィックがあきれ果てたといわんばかりの表情を浮かべている。私も、笑っていいやら呆れていいやらどうしたものかと思いながら母と息子二龍のやりとりを見ていた。

 龍たちの群とともに過ごすうちに、私は人間との共通点以上に相違点を知ることになったが、中でも最も目というか耳を引いたのがこれだった。
 彼らは人間のように互いを親族呼称では呼び合わない。
 父であろうが母であろうが、祖父母であろうが名前で呼んでいた。
 今現在は人口・・・・・・ではなく龍口が減ってしまっているので機能していないらしいが、オスは一人前・・・・・・ではなく一龍前になると母親のいる群から父親のいる群に移籍する。
 夫婦――龍たちは夫婦関係にあるものを配偶と呼んでいるが、配偶関係にあってもオスとメスは普段は同じ群にいないことが普通だった。

 まだ龍の数がそこそこ多かった時代は、オス群とメス群は完全に別行動していて、繁殖期の龍だけが一時的にそれぞれの群を離れて行動していたらしい。その後産卵する際はメスだけがメス群に戻り、父であるオス龍が自分の子に会うのは最速でも子が飛べるようになってからだったという。

 こういう事情を聞き知ったのは、ヘドウィックが暇に任せて龍の慣習だとか法律だとか、群間の争いを解決する全龍会議だとか様々な龍社会のシステムを話してくれたからだった。
 彼ら龍が正式に名を名告るときに「シスレインの娘ヘドウィック」とか「ルーサーの息子ロルフ」というのにはそれなりの理由があり、互いの母方の血筋を三代遡った段階で共通祖先がいないことが配偶関係を結べる最低条件になるらしい。

 アーロンとシスレインの間に生まれた三龍目のメスがヘドウィックで(死んだオスを含めるともっと子はいるようだった)、そのヘドウィックの第三子と第四子に当たるのが彼らラルフとロルフだ。 ヘドウィックの配偶、つまりラルフとロルフの父親に当たるオス龍はもう一つある「しゃべる龍」の群に所属している。
 それでも、彼らは何かの機会に父親のルーサーとは会っているのだろう。

「仮にも親に向かってその言い種はないだろう!」
呆れと言うかどことなく諦めを含んだような口ぶりで、ヘドウィックが言い返す。

 それはそうだろう。私はいささか同情しながら母と息子たちのやりとりを見守った。

「だってさあ、俺たちと遊んでくれるのはいいけど飛ぶのが下手くそだから少なくとも5回は海に落ちているぜ?」

「そうだ。一昨年に北洋に行ったときは風邪を引いてクシャミばかりしていたから、あやうく山火事を起こすところだったんだ。飛ぶのが下手な翼龍なんて、泳げない海龍並みにダメじゃないか」

「フッ・・・」
私が思わず吹き出してしまったので、ヘドウィックがバツの悪そうな視線を送ってきた。

「ええい、うるさいわね! 世の中には飛べない龍だって鳥だっているじゃないか! ヨルジィナのような龍だっているんだから、一応飛べるだけでも御の字だと思いなさい」
ヘドウィックはまくし立てるように言うと、翼を広げて地団駄を踏むような仕草をした。

「ま、まあな。ヨルジィナと比べればマシか」
片方のオス龍がハッとして横にいるオス龍の方を見る。
「あ、まあ、そうだな。確かに翼龍なのに高所恐怖症ってどうしようもないよな」

 私はあっけにとられて思わず膝をついた。高所恐怖症の翼龍だって!?

「で、でもよ。一体どこがよくってあんなのを配偶にしたんだ?」
「知らないわよ! もうとっくに忘れたわ。あんたたちで勝手に考えなさいっ!」
フンと鼻を鳴らしながら火を吹き出すと、ヘドウィックは森の奥の方に歩いて行ってしまった。

「勝手に考えろだって」
母龍の後ろ姿を見送った後、一方のオスがぽつりとつぶやいた。
「じゃあ、勝手に考えようぜ。少なくとも、俺は高所恐怖症のメス龍を配偶に選ばないな」
「俺も墜落してばっかりのメス龍はゴメンだな。そうだろ、バラン。お前だって飛べないメスを配偶には選ばないだろ?」

 突然話題を振り向けられて私は正直困惑した。
「しかし、人間には翼がない。そもそも飛ばない」

 私の返答に対して二龍はびっくりしたように顔を見合わせた。
「何言っているんだ。お前は龍の騎士じゃないか。龍の騎士は飛べるぜ。大きくなったら俺たちみたいな翼が生えてくるだろう?」
「えっ!!!?」
今度はこちらがびっくりする番だった。つ、翼が生えるだって!?

 私は思わず自分の背中に目をやった。い、いやどう考えてもそんな兆候はなかったはずだが・・・。
「し、知るか! 少なくとも今は翼なんて生えてきていない」

私がそう答えても、二龍は疑い深そうにこちらをジロジロと眺めている。

「シスレインが言ってたことは嘘だったってことか?」
一頭が腕組みをして神妙な表情を浮かべる。

「う~ん。よく分からないな。もう一度聞いてみようぜ。まあとにかく、飛べないメスを配偶にするのは薦められないな。せいぜい長距離飛行が上手くて腕っ節の強いメスを探せよ」

「そうそう。飛べないメスは論外だぜ」
二龍はそう言うと翼をバタバタとはためかせて飛び去っていった。

 いつものことと言えばいつのもことなのだが、この若いオスたちは翼龍の常識が人間にも通用するという前提で話を進めてくる。
 いきなり「なんでお前は火を吹かないのか?」とか、「夏の間の営巣地はどこなのか?」とか、「お前の繁殖期はいつなのか?」とか前置き無しにとんでもない質問を投げかけてくる。

 とはいえ、人間側の事情を知らずに話しかけてくるお陰で、翼龍側の事情が間接的に分かるというメリットがあった。
 基本的にオスよりメスの方が体が大きいとか、メスの方が力が強くてどう猛だとか、相性の善し悪しは「音」で判断するとか、主におしゃべりなヘドウィックがあまり話さない情報が手に入る。

 龍の繁殖期は数百年おきに来るので、繁殖期が一致している異性の中からしか配偶を選べないこと。
よって一旦少しでも龍口が減少すると、減少に歯止めをかけるのが難しいこと。
 集団で一箇所に定住するのはメスと若いオスのみで、通常大人のオス龍は単独行動が多いことなど、翼龍の基本的な習性はこの二龍との会話で知ったことが多い。
 それから、彼らが夏を過ごしていたのがオケアノス大海流の向こう側にある南方の大陸だという情報も得られた。
 この辺りの四大陸以外にも複数の大陸があることを伝聞の類では聞いていたが、実際にそこに行った経験のある者から話を聞いたのは初めてだった。

 まだ地上にいる知恵ある龍と人間との間で戦争が起きていなかった頃は、龍の力を借りてはるか西方やはるか東方にある大陸とも行き来があったとは伝え聞いている。
 だが、通常の航海技術では突破するのに困難を極める海流と岩礁地帯に阻まれ、現在ではほとんど行き来がない。
 マルノーラ大陸から比較的近い距離にあるというヒュペルボリアも、複雑な海底地形故に海龍や龍人の手助けなしでは船での到達が不可能だという噂だった。

 実は人間というものはつくづく愚かな存在なのではないか?

 何が原因できっかけがどういうものだったのかは知らないが、これだけ知性があって話の分かる奴らなのだったら、下らぬ争いなどしなければよかったのに。
 少なくとも、友好関係を保っていれば人間がこうむる恩恵は大きかったはずだ。

 ふと、いつの間にか思考が龍寄りになっていることに思い至り、思わずため息をつく。
 とにかくうるさい龍たちが離れていったので、気を取り直して日課にしている瞑想を始めようと手頃な木の下に腰を据えた。


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