第4章 再訪(1)

 紆余曲折を経て、いや、正確に言えば右往左往して、結局バランはアーロン率いる龍の群の中に戻って来ていた。テランの森の深奥、全くと言っていいほど人の手が入っていない原生林の中で生活をはじめて早10日。当初予想していた以上の居心地の良さに、バランは奇妙な戸惑いを感じていた。

 蒸発としか言いようのない形で姿を消した養親。その養親が狩猟で用いていた天幕を持ち込んで野宿をしているが、食糧にも水の確保にもさして困らない、比較的恵まれた生活を送っていた。

 むろん、秋晴れがつづく過ごしやすい時期だったことも大きい。少し離れたところにはたわわに実をつけた栗の木が群生しており、やや熟しすぎだが実をつけた柿の木も見つけた。栽培種よりかなり小さいが、青い実をつけているリンゴの木もあった。ヒラタケなど食用に適するきのこもあるし、山芋のツルもいくつか見つけられた。非常に水質がよい泉があり、飲料水にも困らない。

 食糧事情以上に、龍たちの中にいるということが不思議なほどに居心地がよかった。養親のオーランドを訪ねて戻った山小屋よりも、オーランドを探しに7年ぶりに戻った出身地フォーレスの谷よりも、圧倒的に居心地がよかった。

 龍たちがいるお陰で、モンスターだけでなく熊や狼などのどう猛な動物は一切近寄ってこない。シカやウサギなどのおとなしい動物の姿も見られないが、別に狩りをしてまで食べたいとも思わない。

 だが、バランが戸惑っているのはそうした物理的な意味での居心地の良さではなかった。なんとなく、「居るべき場所に戻ってきた」というような感覚を感じてしまうことだった。曲がりなりにも人間の中で16年間生きてきたのに、これは一体どうしたことなのだろう? いくら何でもそれはないだろう。これでいいのだろうか、いや、これは明らかに問題だろう。

 ――そんなことを堂々めぐりで考えながら、バランは柿のヘタを火力が弱まった焚き火に投げ入れた。この焚き火の火も、龍につけてもらったものだった。何しろ、いまだに初級の火炎呪文さえまともに扱えないのだから。この原生林の北には、テラン湖に流れ込む川があり、上手く浅瀬に追い込めば手づかみで鮎がとれる。それを焼いて食べた残り火だった。

突然、あたりを暗い影が覆い、すぐに明るくなる。誰かが戻ってきたのだ。バランは見るとはなしに空き地の方に目をやる。その視線の先で、バサバサと音をたてて龍が着地した。体のサイズからしておそらくメスだろう。そんなことを考えながら、燃え残ってくすぶり続けている薪を足で踏み潰す。この季節は枯葉が多く、空気も乾燥気味だ。万が一火が燃え広がると大規模な山火事になりかねない。

 ここにいる龍たちの名前と声も一致するようになってきた。何となく容姿でも区別はつくのだが、基本的にバランは個体識別を声でしている。ふと気づくと、自然とそうなっていたのだ。彼らの声も人間と同様、メスの方が高い。しかし、人間と違ってメスの方がオスよりもひと回り体が大きかった。

「バラン!」
奥にいたオスたちとひとしきり話をした龍が、こちらを振り向いて声を掛けてきた。

 ヘドウィック――アーロンの三番目の娘で、龍たちの中ではかなりおしゃべりなメスだ。おそらく、ラインリバー大陸の魔の森から帰ってきたんだろう。あまり人間の目に付かないように、群の半数以上が現在は魔の森の奥地をねぐらにしているらしい。こちらにいるのは、すでに孵化した雛の面倒を交代で見ているメスと、一部の若いオスたちだけ。ヘドウィックは伝令としてしばしば大陸間を行き来していた。

「なんだい? しけた顔しちゃってさ」

 別に好きこのんでしけた顔をしている訳ではない。バランはそう思ったものの、このメス龍に口ではかなわないことを自覚している。それに、彼女が指摘する「しけた顔」の原因をあまり悟られたくはないという思惑もあった。

「仕方がないだろう。こういう顔に生まれついたのだ」
不機嫌を装ってそれ以上の言及をかわそうとするが、残念ながらメス龍の辞書には「遠慮」という文字が存在しない。

「姿を消しちゃった人間のことなんていつまでも気にしていたってしょうがないじゃない。惚れたメスというわけでもなかろうに」
ヘドウィックはどことなく呆れたような、それでいて同情のような甘ったるいトーンで話しかけている。
 それが彼女なりの気遣いなのだと分かると、かえって傷を刺激されるような鈍い傷みがバランの心に広がった。

「気にしていて悪いか!? 一応育て親だったんだ」
怒りともいらだちともつかない感情をぶちまけてしまいそうになり、バランは腕を組んで瞑目した。

「悪いとは言っていないさ。ただね、あんたが自分を責めているみたいだから、そういう方向で気にしていても物事は前進しないと思ったのよ」
ヘドウィックはやれやれと言わんばかりに大げさなため息をつく。

「私が自分を責めているだって!?」
予想外の言葉をかけられ、バランは思わず目を見開いた。ヘドウィックと彼女の背後にいる2頭のオス龍たちが黙ってうなづき返している。

 自覚がなかった自分の心の動きを指摘されてバランが呆然としていると、ヘドウィックがこちらに歩み寄ってきた。

「我々龍は相手の肉体、魂、生命エネルギーが織りなす『音』を聞いてだいたいの状態を把握できるのよ。だから、あんたがその人間のことを心配しているというよりも、自分の行動の結果を気に病んでいるというか、悔やんでいるような気配を感じたワケ」

 何も言い返せずにバランが黙っていると、ヘドウィックはさらに言葉を続けた。
「心当たりを探すだけ探したんでしょう? だったら、後はその人間を信じている以外にあなたにできることはないでしょうよ」

「信じて、いる?」
どういうことを言っているのかいまいち意味がつかめないバランは、ヘドウィックの言葉をおうむ返しになぞる。

「そう。どこかで元気にしていること、そして、縁があったらまたどこかで再会できることをね。それを信じてあんたはあんたできっちり生きていかなくちゃ」

(信じるか・・・。そうは言ってもな)
思わず、天を仰ぐ。

 とうに40の峠を越えた男が、すべてを捨てて自分の生活圏外に出奔してしまう。それはどう考えても、不慮の事故に巻き込まれたとしか考えられなかった。
 もし、そうでないとしたら? いったいどんな可能性が考えられるだろう?
 何度もそう自問自答しながら、バランはオーランドの捜索開始から打ち切りまでの出来事をひとつひとつ思い出していった。

 ほぼ1年ぶりに、バランは2人目の養親・オーランドと過ごした山小屋に戻ってきていた。だが、大柄で厳つい体をしている養親の姿は周囲を探しても見当たらなかった。山中で野宿をしたので、山小屋には朝飯時の時間に到着したのだが、数日前に煮炊きをしていたような形跡もない。

 明らかにかなり以前に出かけたまま戻って来ていなさそうな状況だった。だが山人たちは、季節によって拠点を移すことがほとんどだ。だから、そのうちここに戻ってくる公算は大きい。

 秋が深まりつつある今の時期は、狩り場を求めて山中を歩き回っているはずだ。通常、ここよりも高いところに小屋がけした場所を拠点として、何人かの男たちと連携して狩りにいそしんでいる頃だろう。
 熊や鹿の毛皮はそこそこの値で買い取ってもらえるし、熊の内臓も高い値で取引される。肉は燻製にすれば長期保存が可能で、冬期の保存食としては欠かせないものだ。狩猟が終わると、炭焼き窯を作って炭焼きに従事するようになる。遅くともその頃には間違いなくこの小屋に戻ってきて、冬支度と炭焼きの準備に入るはずだった。

 それに、山仕事の時によく着ていた薄手の作業着が折りたたまれて椅子の上に置いてある。どう見ても、そのうちここに戻ってくることを前提に外出している。ある程度長期間小屋を留守にする場合、衣類や家財道具の一部を持ち出すこともあったが、バランが出奔した当時あったものはほぼそのままの場所にあった。

 入口と土間、寝室として使っている奥の部屋の窓を開け放つと、締め切った木造家屋特有のこもったにおいが徐々に薄れていく。長期の狩りや山仕事から戻った時と同様、放置していた小屋を復旧する作業に取りかからなければ。そう思い、バランはいつもどおりの手順で作業に取りかかった。

 まずは水瓶に入ったままになっている古い水を処分し、山の湧き水を引いて作った共同の水場から水を汲んできた。それと同時に掃除用に使っていた手桶に水を汲み、掃除に取りかかる。いささか埃っぽくなっている室内にハタキをかけ、ほうきで床にたまったほこりを掃き出す。

 ほこりの状態から推測するに、2ヶ月近く留守にしているのではないか。そんな推測をたてながら、バランは床の水拭きを始めた。秋の深まりだした山小屋では、冷たい水での掃除は手がかじかんでくる。いつもだったら、掃除の終わる頃を見計らって、オーランドが火をおこしてくれていたのだが。

 ここで暮し始めてからというもの、掃除と洗濯は基本的にバランが担当していた。決して上手という訳ではなかったが、料理はオーランドが作っていた。腕のいい狩人であると同時に、山を熟知していた養親は食糧調達に長けていたからだ。ちょっとした家屋の修繕もバランを助手として易々とこなしていたし、何かに引っかけて穴をあけてしまった服なども、手際よく修繕していた。

 幸いというべきか、バランがルギウスに弟子入りして道場内の掃除や炊事を命じられても、別段苦労はしなかった。山での生活とたいして変わらなかったからだ。ホームシックというものも理解できなかった。共同生活をしていた兄弟子たちは、家族や恋人と手紙のやりとりをしたり、帰省する時期を待ちわびていたりしたが、バランは特にここに戻りたいとは思わずに修行生活を続けていた。あの事件のせいで、戻っても厳つい養親との気詰まりな生活が待っているだけになってしまった。

 この辺りの山人のうちオーランドも含めて独り身の者が数人いるが、こと生活面にだけ限っていえば、嫁をもらわずとも自足してしまうのだ。オーランドも何事も一人でこなしてしまう、典型的な山人気質の持ち主で、やはり独身だった。

 確かすでに四十の峠を越えているはずだが、バランが知る限りでは女の影は全くない。私を引き取る以前には好いた仲の女性がいたか、あるいは見合いなどを勧められたことはあったのかもしれない。

 だが、嫁をもらうということは、ある種のしがらみを引き受けるということと同義なのだ。おそらく、オーランドはそれを嫌って独り身でいるのだろうとなんとなく推測はしていた。

 拭き掃除が終わったので、ついでだから洗濯もしてしまうことにした。放置されたままのベッドは湿っていて埃っぽい。バランが寝ていたベッドも、出て行った時のまま布団や枕が乗っている。2人分の布団カバーと枕カバー、シーツをはずしてたらいに放り込み、布団一式を物干し竿にかけた。風は冷たいが、今日は晴れ渡って空気がからっとしている。布団干しと洗濯にはうってつけだった。

 洗濯板とともにたらいを洗い場へ持ち込み、シーツとカバーをざっと洗う。絞ってできる限り水気を切り、納屋からもう1つ竿を出してきてシーツを広げた。そこに干しきれないカバー類は、木の枝と物干し台に張った縄に引っかけた。

 こうして昼前には山小屋の「復旧作業」は一通り終わってしまった。納屋の一角にある食料保存用の棚には、乾燥させたきのこや野菜、畑で収穫した芋類がそこそこ残っている。オーランドが山を下りた時に買ったのか、米が一袋手つかずのまま置いてある。そう遠くないうちにオーランドが狩りから戻ってくるだろうが、すぐに食料に困るという状況でもない。バランは暖炉に火をおこして一息つくことにした。

 小屋の裏手に積んである薪を取りに行くと、なぜか薪割り用の手斧が放置されている。壁に立てかけるように置かれてはいるものの、ずっと雨ざらしになっていたようだ。錆び付かせるから作業後は納屋にしまうようにと耳にタコができるほどいわれていた。それをよりにもよってオーランド本人がしまい忘れるなんて。いぶかしく思いながらも、バランは手斧をひとまず納屋にしまった。


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