第3章 エレミアと白い龍(3)

「それで、あなたの方は? あなたが会ったというしゃべる龍は、何か他に情報をくれたの?」

唐突にエレミアから問われて、私は返答に窮する。私の話だって普通なら「キチガイ」扱いされても仕方がない内容ではある。
「そ、それは、と、とにかく私は人間ではないと言われたんだ。だが、そんな話を頭から信じる気になれなくてな」
私が言葉に詰まりながら返答すると、エレミアは私のことをおもむろに見回した。
「そうね。どう見ても人間なのに、人間でないと言われても、ねえ。もし人間でないとして、あなたはどういう存在なのかしら?」

「龍たちは、「龍の騎士」という言葉を使っていた。人間でも、魔族でも、龍でもない存在だと言われたんだが・・・」
「龍の騎士!!!? あなたが?」
突然エレミアが素っ頓狂な声を上げたので、私はびっくりしてエレミアの目をのぞき込んだ。私は初めて耳にする単語だったのだが、エレミアは何かを知っているらしい。

「ふふふふふふふふ。それは、いくら何でもあり得ないでしょう」
あまりにもおかしそうに腹を揺すって笑っているので、私は自分の発言がそんなに変な内容だっただろうかといぶかしく思った。
「ここテランに伝わる伝説の存在だけど、あなたとは似ても似つかないわ」
「どういう伝説なんだ?」
私が問い返すと、エレミアは不思議そうにこちらを見返してくる。

「あなた、本当に何も知らないでその話をしていたの? 龍の騎士はこの世の「ことわり」が乱れた時に現れる、一種の神の使い。あらゆる力を使いこなし、天地の「ことわり」さえも思うがままに操り、すべてを破壊し尽くす存在よ。テラン周辺では、龍神様と並ぶ崇拝の対象だから、うかつにその名を言うべきではないわ」
少なくとも私にとっては初耳だった。フォーレスの谷でも、山の生活でも、そんな伝説は耳にしたことがない。

「しかし、なんですべてを破壊し尽くすような存在を拝んでいるんだ?」
何だかテラン人の考えが根本的にずれているような気がするのは気のせいなのか? 自分たちの生活や生命を脅かす存在を崇拝対象にする感覚が理解できない。
「堕落しきった世界を破壊してまっさらな状態にした後で、そこに新しく、より神聖な神の王国が樹立されると考えられているわ。いわば来るべき神の世が訪れる前に、露払いをする存在と受けとめられているみたいよ。それゆえに、無慈悲にすべての命を刈り取る鬼神のごとき存在だけど、同時に救世主でもあるんでしょうね」
自分は頭から信じているわけではない。そんな含みを持たせながらエレミアは語っている。
嫁入り後にテランへと移ってきた彼女は、表面上はともかく、テランの独特な信仰形態からは距離を置いているのだろう。

「何だかんだと言って根は優しいあなたが、そんな存在だとは思えないわ。ここではうかつにその話をしない方が無難よ。もし、興味があるなら、テラン湖の湖上神殿と湖の中に入ってみるといいんじゃないかしら。入れれば、の話だけどね」
どことなく含み笑いのような笑い方をして、エレミアは肩をすくめる。

「入れれば、ということは、普段人が入れないようになっているのか?」
「いいえ。湖上神殿はたいしたものはないわ。龍の石像があるぐらいよ。伝説によると湖の底にも神殿があるらしいんだけど、今まで確かめた者はいないわ。聖域として恐れられていて、神の怒りに触れないように誰も近づかないから」
その話を聞いて、なんとなく湖上の神殿に行ってみたくなった。
それに、そろそろ暇乞いをしないと、彼女の仕事の邪魔になるだろう。

「そうか。湖の中はともかく、その湖上神殿には行ってみよう。色々と世話になった」
私はそう言って席を立った。
「待って、また、必ず来てくれるって約束して。今度はダンナや子どもたちがいる時にきちんと紹介もしたいから」
エレミアはそう言って赤子を抱いたまま立ち上がった。おそらく満腹になったのだろう。赤子は先ほどからエレミアの腕の中で寝息を立てていた。
「ああ。いずれまた来る」
とりあえず社交辞令として口にはしたが、ここを再び訪れることはあまり気が進まなかった。

「ねえ、バラン」
私が戸口から出ようとすると、何か思い詰めたような表情で、エレミアが呼び止めてくる。
「なんだ?」
私が振り返ると、一瞬エレミアは躊躇するように言いよどんだ。
「その、バランはいま、幸せかしら?」
予想だにしなかった、しかも返答に困る問いを投げかけられて、私は言葉に詰まった。

「さあ、よく分からん。分からないということは、幸せなのかもしれん」
別に幸せではないが、不幸だとも思ってはいない。
「幸せになるよう、努力してくれないかしら。変なお願いね。ごめんなさい。あなたが幸せになるための手助けなら、できる範囲でするわ」
エレミアは目を伏せてそっとため息をついた。分かっている。さっき会って分かった。
ずっと気にしてくれていたのだ。自分が嫁いでからの私の生活を。
母代わりでもなく、姉でもない。そういう中途半端な立場で短い間しか私に関われなかったことを。

「あなたが気にすることではない。あなたはあなたが最善と思う道を選んできた。私は私の好きなように生きる。もう大人なんだ。それでかまわないだろう」
「私は無責任だったし、これは私の勝手なお願いだということは分かっているわ。でも、あなたには幸せでいて欲しいのよ。私のためにも」
私の言葉の何がこたえたのか、エレミアはひどく悲痛な表情を浮かべた。

「私は別に不幸ではない。勝手に不幸なヤツだと決めつけるような真似はやめてくれ」
エレミアが何に心を痛めているのか、私には理解できなかった。いい縁談があれば応じるのは、未婚の娘として当然だろう。
寂しくなかったと言えばウソになるが、フレッドとの二人暮らしも、オーランドとの二人暮らしもそれほど悪いものではなかった。

「そんなこと! そういう意味じゃないわ」
しきりにかぶりを振って、私の言葉を否定する。
「あの龍に言われたことを、思い出したの」
「あの龍とは、私を運んできた白い龍のことか?」
話の脈絡がさっぱりつかめなかった。なぜ今になって唐突に龍の話を蒸し返すのか。
「この子は神から人間への贈り物であると同時に、神から人間に出された「ためし」でもあると言っていたわ。この子が人の間で幸せに生きられるかどうか。それが世界の今後を占う試金石となるって。だから・・・」
そこで彼女の言葉が途切れた。

不意に、何だか馬鹿馬鹿しいような、すべてを笑い飛ばしてしまいたいような衝動に駆られる。
結局、私は今もエレミアにとって養育を放棄し、不幸な境遇に置いてきた息子なのだ。
だが、私自身の幸不幸など、他人に決められる義理はない。幸せにならなければならない義務などない。
そもそも、その白い龍の言い種を信じなければならない義理などこれっぽっちもないのだし、信憑性だって疑わしいものなのだ。

「いずれまたここに顔を出す。だが、捨ててきた不幸な息子扱いは勘弁してもらいたい。私自身の幸不幸は私自身が決めることだ」
私は扉の外から、エレミアを一瞥した。
「そうね。ごめんなさい。もうあなたは大人だもの。自分で自分の道を切りひらいていけるわよね。でも、必ずまた来るのよ。それだけは、約束よ」
「承知した」
私は短く返答すると、玄関の扉を閉めて街道へ向かった。ここから北西に歩いて行くと、魔もなくテラン湖が見えてくるはずだった。
街道への曲がり角で振り返ると、わざわざ私を見送るために玄関の戸口に立ったエレミアの姿があった。

はっきり言って何もないところだな。それが率直な感想だった。

エレミアに聞いたテラン湖に来てみたものの、湖に突きだした小島の上に神殿とさえ呼べないような小さな建物があるだけだった。
とはいえここまで足を運んだからには見物ぐらいして行ってもいいだろう。そう思いなおし、細い参道を神殿に向けて歩いていく。

おそらく大理石か何かで作られているのだろう。中央部が膨らんだ奇妙な形の柱が円を描くように林立し、龍の石像が乗った台座を取り囲んでいる。
台座の上には翼を広げた翼龍が胸を張るような格好で鎮座している。
まさしく、先日原生林の中で出会ったアーロンたちのような翼龍だ。
どんな神を祀っているのかとか、この神殿の由来などの解説がどこかに刻み込まれているかと、私はいささか期待してここを訪れた。しかし、あいにくそうした手がかりは一切なさそうだった。台座に奇妙な文様が彫られているだけで文字らしきものは何もない。

神殿の背後に回り、見るとはなしに湖面を覗き込む。
だが、当然ながら湖底に存在するという神殿など湖面から覗き込んだ程度では見えはしない。
仮にそのようなものが存在したところで、何かが分かるとは限らない。
聖域といわれる場所を穢したと咎められる上に、単にずぶ濡れになるだけでは入る意味もあるまい。

私はもう一度石像や柱を見回して、神殿を後にした。水中に入らないのなら、これ以上ここにいる意味はないのだから。
だが来た道を引き返して湖のほとりに戻ると、森の茂みの向こうから老人が1人姿を現わした。
「お若いの、あんたは旅の者かね?」
無視して街道に向かおうと思っていた矢先に、老人が大声で呼び止めてきた。

厄介なことになったかな。私は内心舌打ちする。
エレミアの話が正しければ、テランの人間は信心深く龍の神をあがめる民だ。よそ者が神殿に入ったことを咎めに来たのかもしれない。
「そうだ。すぐにここを立ち去るつもりだ」
素っ気なくそう言い、急いでいることを言外に伝える。
「そこが龍神様を祀る神殿だと知って礼拝に来たのじゃろ?」
だが予想に反して、その老人は何かを話したそうに近づいてきた。

「いや、何があるのかと思って見に来てみただけだ。聖域に足を踏み入れたことは申し訳なく思う」
面倒ごとを避けて早く山に戻りたい。単にその一心で、先回りをして詫びをいれる。
「別にあの湖上の神殿は聖域という訳ではない。安心なされ。聖域とされるのは湖の底の神殿だけじゃ。扉のない石造りの神殿がこの湖の底に沈んでおる」
この老人は本当に湖底に神殿があると信じているらしい。湖底に神殿があるという伝承以上に、私はそのことに面食らった。

「ふっふっふっふ。信じられんという表情をしておるな。年甲斐もなく、いや、年寄りの戯れ言と思っておるんじゃろう?」
正直返答に困って言葉が出てこなかった。それを気にとめることもなく、老人はさらに荒唐無稽な話を続ける。
「この湖はその昔海だったと言われているんじゃよ」
「海!?」
「さよう。内陸に食い込んだ湾を龍神様がそのお力で塞ぐことでできたと言われておる。その証拠に、この湖には本来海にしかいないはずの生き物が少なからず棲息している。かつてはここに龍神様が住んでおり、神から預かった御子を育てていたそうだ」
まさか、それが龍の騎士だとでも言うのか? 

混乱していた。もし、その龍神と私をフォーレスの谷に運んできた龍が同一の存在なら、なぜ自分で育てずにエレミアに預けたんだろう。
「その神から預かった御子というのは・・・」
「龍の騎士様と我々はお呼びしておる」
尋ねるよりも先に、老人が答えを返してきた。

「世の中が乱れて世直しが必要な時に表れ、古き秩序を破壊し尽くすお方だ。ここテランではその再臨を待ちわびて祈りを捧げている。もし再びこの地を訪ねることがあるなら、ぜひ夏至の日に湖に立ち寄るがよい。燃える火炎草を乗せた器が湖を埋め尽くす光景が見られるじゃろう」
要するに、祭りを見物しに来いと言うことらしい。再び神殿に戻って祈れとか、龍神様を拝みなさいという押しつけがましい話はその老人の口から飛び出さなかった。

「そ、そうか。ぜひそうしよう。悪いが先を急いでいるので失礼する」
私は軽く一礼して、思わずその老人の前から走り去った。
どういう訳か分からないが、なぜかそれ以上龍の騎士について話を聞くことに耐えられなくなったのだ。
(・・・私は本当に龍の騎士なんだろうか?)
無性にオーランドに会いたかった。あいつならきっと「周りの人間が言う物語に過ぎん」と笑い飛ばしてくれるに違いなかった。


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