第十章 悪魔と魔女の後日談(2)

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解説

 最後に、魔女亡き後の悪魔の動向と、僕らのその後をここに記して本書を閉じる。

 まず、グレスドール大公イグナシオはアデーレをケディア軍に引き渡し、代わりにテイリール公妃レティシア殿を連れ戻してきた。もちろん、この計画はアデーレが主導し、アデーレ本人の意志で人質交換が行われたわけだけど、周囲はそう考えない。アデーレやその周辺の人たちは、グレスドール大公主導で進められた計画だと主張している。

 そんなわけで、本来蚊帳の外にいたのにもかかわらず、彼の悪名は鰻登りに登って、魔女を厄介払いした極悪魔王と言うことになってしまった。これはアデーレ流の意趣返しという面もあったんだろうと思う。よくよく考えてみると一番割を食ったのは大公だし、アデーレに似合わず周到かつ陰険なやり方だ。

 結果的にファシュルにおける大公の地位を落とし、後のフィオリア王国に権力が集中することを見事に阻止したのだから。

 でも、話はそこで終わらなかった。既に臨月だったレティシア殿は間もなく公女を出産した。その直後に、イグナシオはレティシア殿と婚約を取り結び、グレスドールとテイリール両国の合併を発表。翌年に結婚式と戴冠式が行われ、ファシュル連合中最大の国家が誕生したのだった。

そして、なぜか大公は特に弁明することもせず、自らが魔女を厄介払いしたかのように振る舞い続けた。

 ここで、例のアデーレの聖遺物について触れておかなくてはいけない。その後僕らの計画は賛同者を得て、大ガルシアとアデーレの墓はトリエラ廃墟の中央に建てられた。そして、彼女の残した遺品はその石室の中に収められた。

 ところが、それから一月ばかりして、あのフリオが水沸谷を訪れたのだ。それも、グレスドール大公の命令で、アデーレの遺品をもらい受けに来たのだった。当時、婚約が発表されたばかりで、大公の悪評はかつてなく高まっていた。だから、フリオはまるで悪魔や死神の使いのように忌み嫌われていた。気の毒にも、文字どおり谷を石持て追われる有様で追い返されたのだった。

 実は、あのアデーレの骨の本来の所有者はイグナシオ王だったのだ。これはイグナシオ王当人から聞いたことだから、まず間違いない話だ。僕が後年ユリーツィアを訪れた際、彼は相も変わらず全く悪びれた様子もなく、僕に一部始終を語ってくれた。

 彼はあのトリエラ陥落の折の市街戦で、アデーレを焼き討ちにした張本人だった。いや、正確に言うと焼き討ちするつもりはなく、(これについては本当かどうか疑わしいと思うけど)逃げ出してきたところを生け捕りにするつもりでいたらしい。

 なぜなら、イグナシオ王以外にも帝国内で彼女に興味を示すものは多く、表向きは焼死したことにしておいた方が都合がよかったからだ。結局、都合を優先したばっかりに彼女を焼死させてしまった(彼は少なくともアデーレが焼死したと思った)。

 翌日焼け跡を訪れて遺体の検分を行った時、なぜか大ガルシアの亡骸らしきものは見当たらなかった。そこには、少女のものと思われる小柄な焼死体だけが横たわっていた。焼死体というより、荼毘に付されて骨と化しているような状態だったらしい。

 このことが元で一部にはガルシア生存説が飛び交っていたことは周知の事実だ。一体全体、ガルシアの死体はどこに行ったのか。それはいまだに謎で、これから先もきっと解明される可能性はないだろう。

「おそらく、アデーレは養父の亡骸を水で濡らした布で巻くなりして消失を防ごうとしたに違いない。ニダラーフェンの古い伝統では、王に列なるものの亡骸は必ずクラコスの森から運んだ薪で荼毘に付すことになっている。おそらく、その慣習を守ろうとして自分が逃げることを忘れてしまったんだろう。そして、皮肉なことにアデーレの遺体程焼けずに残ったために、ガルシアの死体は肉食獣にでも持ち去られたのだろう」

 イグナシオ王は苦々しげな口調でそう言った。彼はその焼死体がアデーレであると信じているみたいだった。せっかくの獲物をみすみす焼死させてしまった悔しさからなのか、彼はその焼死体の骨を一部持ち帰った。そしてそれはアデーレの手に渡り最終的には水沸谷に残されることになったのだった。

 大ガルシアの遺品の短剣については、奥方のレティシア殿から持ち主の変遷を伺うことができた。二本あった短剣のうち一本をヒジュロスさんが、もう一本はなぜかハルシエル殿が持っていた。そしてそれらはハルシエル殿の死後、レティシア殿を通してアデーレの手に返還されたらしい。

 ヒジュロスさんが大ガルシア暗殺の実行犯だったことを考え合わせると、ハルシエル殿にもなにやら怪しい影がつきまとっているが、僕はこれ以上あれこれ詮索はしたくない。もう起こってしまったことはどうしようもないし、死んでしまった人間は戻ってこない。とにかく、二本の短剣のうち一本は水沸谷に残され、もう一本は小ガルシアの手に渡ったのだ。

 そんなわけで、イグナシオ王がアデーレの遺品、とりわけ骨を取り戻そうとしたことにはそれなりの理由があったわけで、短剣についてもレティシア殿の意向を反映したものであった可能性は高い。でも、時は既に遅く、石棺の蓋は閉じられ封印が施された後だった。

 僕はその時はやるべきことをやっただけだと思ったし、横やりが入る前にことを済ませてしまってよかったと思った。アデーレはあくまでそれらの遺品をバジルダットに託したのであって、グレスドール大公に残したわけではなかったのだから。

 結局、グレスドール大公は魔女を祀ることも、殺して首を取ることもできない呪われた王だったのだ。少なくとも、彼の一統が祝福されざる王朝だったことは間違いない。イグナシオ王即位から一年とたたずに、辰角ヶ岳は大噴火を起こしたのだ。

 僕もマリーシャも、一族郎党とともにまだアシュレの北に留まっていた時期のことだった。噴煙は遙か上空まで立ち上り、麓は火砕流に覆われたようだった。アシュレの北にいても、火山の様子はよく分かった。特に夜になると、遠くの山が光っている様がよく見て取れた。

 アデーレはこのことを予想していて、親父に二年は北にとどまるように言い残していったのかもしれない。頻繁に東西を行き来していた彼女は、地震が多発していることや噴火の危険があることを察知していた可能性はある。いずれにしても、僕らは帰るべき場所を当面の間失ってしまったのだった。そして噴火が収まるまでの間、水沸谷や南との音信は途絶えてしまった。

 この窮地を救ったのは、アデーレが置き忘れていった相当な額の財産だった。僕とマリーシャの一族郎党だけでなく、北草原の民はこれにかなり救われた。アシュレの北で二年半生活し、家畜と居住地修繕のための資材を購入してもまだおつりが残ったのだ。これがなければ、僕らはとっくに家族が離散していたと思う。それどころか北草原には遊牧民がいなくなっていた可能性もある。

 水沸谷にも火山灰が降り積もって畑はどうしようもない被害を被ったらしい。つてを頼って南や東に一時避難する人が続出し、谷は二、三年の間まるで廃墟のような状態だったそうだ。バジルダットもマーサ伯母さんと共に二年間東で避難生活を送って戻ってきたらしいけど、元の生活を送れるようになるまでかなり苦労したみたいだった。

 また、その翌年の夏には例年になく大きな台風がユリーツィアを襲い、ディラスケス川が大洪水を起こした。これで、クラコスの一部が地滑りの被害を受け、トリエラ廃墟も濁流の中に没した。下流にあったユリーツィアは、それ以上に甚大な被害を受けたようだった。比較的高台にあった王の居城でさえ、あわや浸水というところまで水が迫ったらしい。

 そして当然のことながら、この洪水で大ガルシアとアデーレの墓は跡形もなく流れ去ってしまった。トリエラ廃墟に残っていた建物跡や井戸なども、当時の状態をとどめておらず、墓がどこに建っていたかも分からない。復旧不可能なところまで墓は破壊されていたし、当然石室もそこに納められていた遺物の行方も不明だった。

 このことは、ごく最近になってバジルダットから聞いた。彼は東から戻ってきて、ユリーツィアで近衛兵をしているラゴレスを訪ねる途上で惨状を知ったらしい。でも、その時は誰にもそのことを伝えなかった。

「壊れてなくなったことを伝えてみんなで嘆いたところで、もう元にはもどらないんだ。だったら、皆の悲しみを蒸し返すようなことを言って回ることもないだろう」

彼は静かにそう言った。古歌 1にあるように、過ぎ去るものはとどめられない。偉大なるディラスケスの流れは、すべてのものを過去へと押しやってしまう。それを止められるものはいない。

 ここからは完全に僕だけの後日談になる。僕はその後、折に触れてカンラートさんの言葉を思い出していた。あの人もまた、今の事態を予想していた一人に違いなかった。僕は東行きを何度も画策したけれど、残念ながら、向こうに行くための路銀までは調達できそうになかった。

 ところがある時、ひょんなことからあの船の模型が実は貯金箱で、そこそこのお金が入っていることを知ったのだった。僕はそのことをマリーシャただ一人に打ち明けて、東行きの計画を話した。残念ながら、彼女は乗ってこなかった。

「もうあちこちふらふらするのはやめて、いい加減落ち着きたいのよ」

マリーシャはそう言ったけど、彼女の本当の気持ちも分からなくはなかった。アデーレがいなくなった今、どこかに旅をしようという気がなくなってしまったのだ。言葉の問題に限らず、彼女がいないと、何だか異境の地に入り込んでいくすべがないような気がするのだ。

 でも、いつまでも誰かの後ろにくっついて旅をしているわけにはいかない。僕はみなに別れを告げて、たった一人で東に向かった。ニダラーフェシュル街道も草原の道も使わず、西海岸を通って南へ向かった。ニダラーフェシュル街道は火山灰や噴石で道が悪いと耳にしていたし、草原中央のオアシスは、現在管理者不在であると知っていたからだ。西海道、南海道を経由する旅は、ユリーツィア到着まで一ヵ月半を要した。

 意外なことに、ユリーツィアで僕はイグナシオ王の歓待を受けた。たまたま非番だったラゴレスと城下町で再会し、彼を通して僕が城下に来ていることが王の耳に入ったらしい。王の使いが宿屋までやって来た時、僕は非常に驚いた。そして、特に断る理由がないことにはっきり言って憂鬱な気分になった。

 王がアデーレをケディア側に引き渡したことに関して、僕は言葉で言い尽くせないほどの怒りを抱いていたし、恨みを持っていた。変な話だけど、仮に王がアデーレを殺していたら、僕はここまで王を恨まなかったと思う。僕はむしろ王がアデーレを手放したことに怒りを感じていた。

 またアデーレをケディア側に売り渡した張本人のように振る舞い、本当のことを語ろうとしない不誠実な態度も僕をいらいらさせた。結局、生死さえも分からぬような形で彼女を失ったことに僕は腹を立てていたのであり、今も腹を立てているのだ。

 そして、そんな気持ちをおくびにも出さず、悪魔の晩餐に独り参加しなければならないことは非常につらかった。

 僕は意を決して食事の招待を受け、南の高台にある城に向かった。僕を出迎えた王は、以前に比べて少し老け込んだように見えた。傲慢で不機嫌な雰囲気は少し和らいでいたけれど、彼特有のよそよそしさは以前より強くなっているように思われる。そんなよそよそしい態度で迎えられたら、きっと僕でなくても居心地の悪い思いをするに違いない。

 僕のところにアデーレから連絡が入っていないかどうか尋ねてきたけれど、そんなの僕が聞きたいぐらいだった。

「彼女がケディア軍の拘束下に置かれたのは、僕以上によくご存じではありませんか」

僕は、礼儀上口にすべきでないと分かっていたけれど、そう言わないわけにはいかなくなった。

「魔女はそう易々と死なない」王は固い声で言った。「たとえ死んでも生き返るのが常だ。生きていてそのうち連絡が来るに違いない。私はそう信じている」

王は少しむっとしているみたいだった。でも、どうやら僕の言葉にではなく、僕が彼女は死んだと思っていることに腹を立てたみたいだった。

「生き返るにも限度というものがあります。普通三回までで四回目はないようです。きっと今回が四度目だったのでしょう」

僕は小ガルシアから聞いた中央大陸の魔女伝説を思い出して言った。でも、言ってしまってから、本当は今回が三度目ではないか 2と疑い始めた。

「信じて貰えないことは分かっている」王ぽつりと言った。「私はあの時アデーレを手放すつもりは毛頭なかった。たとえ、今のような地位や生活が得られなかったとしてもだ」

 僕はその言葉を黙って聞いていた。でも、内心ではその言葉をかなり疑っていた。僕はずっと、身柄交換に関しては、イグナシオ王は(悪評がついて回ることになったが)彼女を厄介払いできて喜んでいると思っていたからだ。そうでなければ、何で正直な気持ちを本当のことを話さないのだ?

 傍らにいた奥方は、いたわりの眼差しで王を見つめていた。おそらく、奥方はその言葉を額面通りに受けとって、彼女を失った悲しみを共有しているつもりだったのだ。僕は奥方とアデーレが昔からの知り合いであった 3ことをこの時初めて伺った。そして、奥方がアデーレとの間で手紙を交わしていたことを思い出した。そこには多分、イグナシオ王が行った政策に関する進言が記されていたに違いない。立場は違えど、フィオリアの安定を願っていたことは同じだったのだ。

 三日ほどそこに滞在した後、アデーレ唯一の形見である反故文を一通だけ彼らの手元に残し、僕は東に出発した。やっぱり、博識を誇る王でもその文面に書かれた文字は解読できなかった。

 ユリーツィア出発からちょうど七日後、僕はイルファレンに到着した。街のあちこちを探索したけれど、アデーレが来たような形跡は全く見受けられなかった。東雲亭や地元の人たちに聞き回ったけど、アデーレも小ガルシアもあれ以来姿を消したままだった。むろん、彼女の知り合いも、緑目男も見かけることはなかった。それどころか、町の北に住んでいたテセウスさんも姿を消していて、そこには全く知らない人が住んでいた。

 カンラートさんは僕を喜んで迎え入れてくれたけれど、僕の話は彼を悲しませるだけだった。アデーレはもう姿を現さないだろうというのが、僕とカンラートさんの一致した意見だった。でも、カンラートさんはアデーレが生きている可能性はあると踏んでいるみたいだった。

「魔女は三度焼かれ三度蘇る。たとえ殺されたとしても、蘇って何食わぬ顔で地上を歩いている。そういう話は耳にしたことがあるし、アデーレ本人が中央大陸の伝説として叙事詩形式で話してくれたことがある」

カンラートさんが真面目な顔でそう言うのを僕は意外の感に打たれながら聞いた。グレスドール大公もそうだけど、いい年をした大人が何で皆そろいもそろって魔女伝説を信じているんだろう。

「僕もその話はガルシアから聞きました。でも、今回が四度目という可能性だってあるかもしれませんよ」

僕はカンラートさんの気分を害さないように彼女が死んでいる可能性を述べた。

「確かに、歌は三度焼かれて三度蘇ったと言っている。でも、四度目がどうなるかは一切語られていない。三度あることが四度ないとは誰にも言い切れない」カンラートさんはそう言って静かに笑った。「でも、確かめようのないことだ。我々は二度と彼女に会うことはないだろう」

 僕はその後、カンラートさんの援助をうけて古文献学の先生に師事することになった。カンラートさん自身もその先生に教えを受けたことがあり、いわば僕はカンラートさんの弟弟子になったわけだ。僕は柱ヶ丘文庫所属の研究生になり、魔女伝説関係の文献を調査収集管理することになった。

 ここに来てもう一〇年ぐらいたつけれど、相変わらずアデーレの消息は分からない。彼女は即刻処刑されて亡くなったのだという話とともに、幾つもの噂が飛び交っている。処刑の翌日、遺体を焼こうとした時には既に遺体が消えていた、火葬したら骨が残らなかった、切断された首が消えた、殺そうとしても死なないので、諦めてどこかに閉じこめることになった等々。根拠がなく、いかにも魔女の最期らしいたわいもない内容だ。

 ユリーツィアと水沸谷、マリーシャや親族との手紙のやりとりは今でも続いている。みな一様に、アデーレと小ガルシアの情報に耳をそばだてているけれど、今のところ全く努力の甲斐はない。おそらく、小ガルシアはこの大陸に近寄るなと遺言されているはずだし、アデーレは自分が死んだことにして完全に事件に幕を引いたのだった。もはや姿を現すことはないだろう。

 僕は現在、古伝承と古歌謡の収集と研究に努めながら、本書を書いている。おそらくこの先ここにこれ以上の出来事が記されることはないだろう。魔女は去り、その物語も幕を閉じたのだ。取り残された僕らにできることは、残された物語を記録する以外にない。

 だから僕は、出来うる限り見聞きしたままの彼女をここに書き留めようとしてきたし、物語に尾ひれをつけて加工することは慎むようにしてきた。それが、僕が彼女に対してできるせめてもの行為だと思ったから。しかしこれが後世にどのような評価を下されるかは、僕の想像の埒外にある。それは、また別の物語だから。

 東暦九一五年八月二三日、柱ヶ丘図書館研究室にて、ジョルディオンの息子リェイジュン記す。

追記

 東歴九一六年小ガルシア東雲港に現る。アデーレにより、ファシュルへの立ち入りを禁じられていた由。再会の折に聞き出だしたる話は別稿に記す。


Notes:

  1. いわゆる「諒王挽歌」のこと。『南都古歌集』に見えるが、成立年代はテイリール時代以前にまで遡ると推定される。ニレディア朝最後の王の葬送以降歌われるようになったと伝わる挽歌。この当時も埋葬の時に省略形の歌が歌われていたことが古記録で確認できる。
  2. ユリーツィア本では二回となっている。魔女の発言に照らし合わせれば、魔女はトリエラ陥落時とカポイルのケディア侵攻の折に死んだと見なされるような状態に陥ったと推定される。筆者はこの二度の死以外にも窮地に陥った経験があることを耳に挟んだのかもしれない。
  3. この点についてはユリーツィア本に詳細な記述がある。レティシアと大ガルシアは一応同族であり、互いにテイリール家の一員として面識があった。末流の分家筋に非嫡出子として生まれ、アデーレと自由気ままに生活していたガルシアを、レティシアは羨ましく思っていたらしい。ちなみにレティシアは本家の長女として生を受けている。