第八章 魔女の遺産(2)

(1)

(3)

 お屋敷に戻ると、何だかんだ言って出発の準備に忙しくなってしまって、誰もが手紙のことなど忘れてしまった。

僕らはお昼をごちそうになった後、泊めてもらっていた部屋に戻って荷造りをした。いや、荷物なんてほとんどなかったんだけど、アデーレが残していったお金を平等に三分割した。万が一、はぐれたり何かがあったりで別行動をとる場合に備えてだ。

挨拶回りでもらったおひねりを併せて、一人当たりの持ち分はぴったり金貨六一枚に銀貨と銅貨がそれぞれ六枚ずつになった。今までもこれからも決して目にすることがないほどの金額を、思いがけず手にする事になって僕は落ち着かなかった。

「何だか落ち着かないなあ。一晩で大金持ちになっちゃった気分だよ」

僕はお金でにわかに重くなったベルトに目をやった。

「これは誰にも内緒にしておこうぜ。多分、姉貴がわざと置いていたんだよ。ユリーツィアから出陣するにしても、草原で生活するにしても、何かと物が必要になるだろう。各人の判断で、本当に必要な時に使っていこう」

「でも、本当に私たちがもらっちゃっていいの? アデーレがあちこちで歌い回って稼いだお金でしょう」

マリーシャは大金を身につけることがはばかられるらしく、巾着を手に取ったまま眺めていた。

「だからこそいいじゃないか。必要ならば、また歌い回れば済む話さ。姉貴は金離れがいいんだ。さあ、殿下がお呼びだ。早く部屋を引き払おう」

僕らが外に出ると、見送りのために一家全員が外に集まっていた。

「ガルシア。一行を代表して君に渡そう」

カンラートさんはそう言って細長い箱を差し出した。

「これは東海岸からニレド北部までの地図だ。少しは役に立つだろう」

「ありがとうございます。非常に助かります」

「それから、これは皆の宿代に充てて欲しい」

「殿下、そこまでご厚意に甘えるわけには…」

さすがの小ガルシアも辞退しようとしたぐらい、ずしりとした重みのある包みだった。

「なに、君にやる訳じゃない。貸し付けるだけだ。そのうちここに戻ってきて、君の歌を聞かせてもらうための、いわば前払い金だ」

「分かりました。ありがたく頂戴いたします」

そこまで言われて、ようやく小ガルシアは餞別金を懐に収めた。

「君たち二人には、東海岸を忘れないように記念になる品を進呈しよう」

カンラートさんは僕とマリーシャに、それぞれ肩幅よりやや小さい真四角な包みをくれた。それなりの重さはある。

「これは何ですか?」

僕は中身が気になってカンラートさんに尋ねたけど、にっこり笑うだけで教えてくれなかった。

「宿に着いたら、開けてみるといい。今夜は赤堀谷の遊雲館に宿泊できるよう手配してある」

僕らはカンラートさんたちに何度も何度もお礼を言って出発した。

イルファレンから直接向かうと、赤堀谷には半日あまりで到着してしまった。ちょうど夕飯時だ。僕らはあらかじめ指定されていた宿に向かい、受付を済ませて部屋に入った。

「とにかく、荷物整理は後。飯にしようぜ」

小ガルシアはベッドの上に荷物を放り出すと、階下の食堂へ降りていった。僕はカンラートさんにもらった贈り物の中身が気になったけど、とにかく食堂に降りることにした。

「何だか下は随分賑やかね」

確かに、聞き慣れない弦楽器の音が部屋の中にまで響いてくる。

「アデーレがいたりして」

「まさか。アデーレの弦とは随分音が違うわ。きっと吟遊詩人がいるのよ。先に行ってるわね」

マリーシャも大急ぎで出て行ってしまった。僕は贈り物の包みを振ってみた。何だか奇妙な鈍い金属音がするのだ。ちょっと迷ったけど、部屋に鍵をかけて、皆に続いて下に降りていった。

食堂の入り口でマリーシャが突っ立っているので、僕は何とはなしに中を覗いた。

「えっ?」

僕は我が目を疑った。マリーシャもびっくりしていたんだと思う。だって、階下で騒いでいたのは、あの東雲亭で会った緑目男とその一行だったんだから。

竪琴を弾いている吟遊詩人のようなおじさんも、どうやら緑目男たちの仲間みたいだった。小ガルシアは既に一行の輪の中にあって、一緒に歌を歌う算段をしているようだ。

「ああ。君たちまたお会いしましたね」

緑目男が僕たち二人に気づいて手招きをした。

「クリーダもういない。さみしいですか。私もさようならしました」

緑目男は、既にアデーレが去ってしまったことを知っているらしかった。

「君たちはファシュリアにお別れですね。今日は沢山食べて沢山歌いましょう」

僕たちは緑目男のテーブルに席をもらって夕食を食べ始めた。テーブルは僕ら二人を含めて六人。壁際には小ガルシアと吟遊詩人が陣取って、調律をしたり、音合わせをしたりしている。他に六人掛けのテーブルが二つと、四人掛けのテーブルも埋まっていて、かなりの大所帯だ。

どういう趣旨で集まった集団か分からないけれど、人種も年齢層もまちまちだった。僕は食事を取りながら、男女の数をそれぞれ数えた。僕ら三人を除くと女が七人男が一四人。食堂は事実上の貸し切り状態だ。おそらく、僕らとこの集団で、宿の部屋も占拠してしまっているに違いない。

「皆さんはどういう集まりなんですか?」

僕はあまりに不思議だったので、思わず緑目男に尋ねた。

「みんな友達です。今日はお祝いのため遠くから集まりました。今日は私生まれた日です」

つまりド派手な誕生日会なわけだ。僕はもう一度参加者一同を見渡した。確かに、みんなお友達ではあるのだろう。全員がうち解けているようだし、いささかはしゃぎ過ぎなくらいに楽しそうにしている。でも、どこをどう見ても誕生日会には見えない。

食事が終わってお茶の時間になると、小ガルシアは早速吟遊詩人と一緒に歌を歌い始めた。おそらく、初対面ではなく、一緒に演奏したことがあるんだろう。非常に息のあった演奏ぶりで一同を大いに湧かせた。僕も夢中になって聞いていたけど、どれも歌の内容そのものが分からない。

「やっぱり、アデーレがいないとつまらないわね」

マリーシャがそっと僕に耳打ちした。

確かにそうだった。歌われている歌を聞いて即興で訳を付けられるというのは、言葉に通じていないとできない芸当だった。翻訳者がいなくなり、歌い手が僕らのそばを離れると、僕らは世界から完全に置いてけぼりを食ってしまう。

しばらくすると、際限なく続く歌に飽きた人たちが、四、五人でカードを使った遊びを始めた。マリーシャはすぐにその輪の中に入ったけど、僕は躊躇した。何だか、小ガルシアに悪いような気がしたからだ。二人はそんなことは全く意に介さないようで、すごく楽しそうに歌っていたけれど。

僕はカンラートさんに送られた四角い包みのことと、アデーレの手紙のことを思い出した。このままでは、飛脚の手に渡せずに東を後にすることになる。僕は思い切って、目の前に座って歌を聴いている緑目男に尋ねた。

「あなたは、どこにお住まいなんですか」

男は、僕の質問が意外だったらしく、少し驚いたような顔をした。

「私は、ここに住んでいます。イルファレンにも、家はあります」

「僕の代わりに、アデーレの手紙を飛脚に渡してくださいませんか?」

僕の質問に、男は心底驚いた顔をすると、隣の男と話を始めた。しばらくやりとりがあった後、緑目男は僕の方に向き直り、真剣な面持ちで尋ねてきた。

「クリーダの手紙ですか。あなた、いつそれ預かったですか?」

「彼女が宿に置き忘れていったので、僕らが預かりました。今日見つけたんです」

「分かりました。それ、私預かります。必ず飛脚に渡します」

「ありがとうございます。すぐにとって来ます」

僕は急いで席を立って部屋に戻り、暗がりの中で、荷物の中から手紙を手探りで探し出した。その間も、カンラートさんの包みは相変わらず奇妙な音を立てていた。

僕が階下に戻ると、さっきまではいなかった見知らぬ男が宿の入り口の方から食堂の中を覗いていた。おそらく、遅れてやって来た宿泊客か何かだろう。僕は急いでテーブルに戻ろうとしたけど、びっくりしてその男のマントに釘付けになってしまった。

肩に刺繍された紋章は、紛れもなくグレスドール公国のものだった。でもそれ以上に驚いたのは、その男の背後から、見慣れたこわもての男が入ってきたことだった。往路の赤堀谷で、僕らを温泉川に連れて行ってくれたあの男だった。

彼はこちらに近づいてくると、緑目男に一礼して僕の前に立ちはだかった。いや今にして思えば、僕をグレスドール大公の使者(と思われる人物)の視線から守ってくれたのだ。僕はびっくりして声もなく男の顔を見上げた。彼は口の端を上げるようにしてにやりと笑うと、僕を軽々と抱き上げた。

僕が指定席におろされた時には、見知らぬ男は姿を消していた。

「あぶない、あぶない。マーガス。いいところに来ましたね」

緑目男は僕とマーガスさんを交互に見比べて満面の笑みを浮かべた。いや、どことなくしてやったりというような笑い方だった。

「あの男は誰なんですか? あの男のことを知っているんですか?」

僕は思わず身を乗り出すようにして尋ねた。

「さあ。私はあの人の名前知りません。でも、クリーダあの男から隠れました。あなた達と一緒にいるのいけないと言っていました。クリーダの手紙、私預かっていいですか? それは、多分外国のお友達への手紙です。私も知っています」

僕は持ってきた手紙の束を渡した。何となく、この人なら信頼できそうだと思った。僕以上にアデーレに関わることを知っているに違いない。必要以上にしゃべらないだけで。

緑目男は、一通一通宛名を確認すると、隣にいる男に手紙を回した。そして、ため息をついて力無く首を振った。

「ありがとう。これ、みんな私お友達の人に書かれていますね。クリーダ書いたこと、だいぶ分かります。明後日にはかならず出します」

「何が書かれているのか、分かるんですか?」

「そうです。多分、いいお知らせと違いますね」

緑目男はそう言ったっきり黙り込んでしまった。

こうした支援者は、おそらく僕が考えている以上に沢山いたに違いない。目に見えないところでいくつもの連絡が行き来し、何人もの支援者が僕らやアデーレの周りを取りまいていたのだ。そして僕が預かってきた手紙は戦乱の勃発を告げるものだったに違いない。でも果たして、これが友人たちに向けた最後の手紙だったのだろうか。僕の与り知らぬところで、今なお幾つもの手紙が行き交っていないとは言い切れないのだ。

翌朝、宿はすっかり静かになっていた。緑目男たちの一行が忽然と姿を消したのだ。多分、彼らの目的は、僕らをグレスドールの使者から守り、アデーレの手紙を受け取ることにあったのだろう。僕は、昨日僕の周りで起きたことを皆に黙っていた。ただ、アデーレの手紙を緑目男に預けたことだけを伝えた。

僕はようやくカンラートさんにもらった包みを開けた。でも中から出てきたのは、木で作られた精巧な船の模型だった。それはマリーシャも同じだった。はっきり言って、僕は船に関しては全くいい思い出がないので、ちょっとがっかりした。模型の中に何かを入れ込んであるらしく、揺するたびに変な音がした。

「見かけの割りに随分重い模型ね」

マリーシャは模型をひっくり返したり回したりしながら、しばらく飽きずに眺めていた。

「きっと水に浮くように、模型の底におもしでも入れているんだろう」

実はこれが船の形をした貯金箱で、中に金貨が入っていたことが分かったのは、かなり後になってからのことだった。きっとカンラートさんは小ガルシアに内緒で僕らにお小遣いをくれたのだろう。これはアデーレが残していったお金と共に、後々までずっとずっと役に立ち続けた。