第七章 王の歌 魔女の歌(3)

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第八章 魔女の遺産(1)

「ところで、アデーレは何時ここを立つつもりなんだろう?」

僕は小ガルシアに聞いてみた。

「さあ、特に聞いてないよ。いつも唐突にやって来て、突然いなくなるから。今日手紙を片づけたって事は、
明日か明後日には出発するかもしれないな。いつも滞在の最終日にやるんだ。あの作業は」

「ちょっと待ってよ。下手したら僕たち置いて行かれるんじゃないか?」

僕は慌てて立ち上がった。結構時間がたつのに誰も来ないし、変に屋敷が静まり返っている。

「あとで来ると言ってたけど、そう言えば一向に姿を見せないな」

「何だかおかしいわ。もう日も落ちてきたし、そろそろ夕食の時間になると思うけど、誰も来ないなんて」

僕は何だか非常にいやな予感がした。当初は、お手伝いさんが現れても言葉が通じないし、気を遣って顔を出さないだけなんだろうと思っていた。でも、結構時間がたつのに僕らが放って置かれているのには何か別の理由がありそうだ。忘れられている? 確かにそうだ。じゃあ、僕らを忘れてしまうぐらい大変な事がどこかで起こっているのだ。

「ねえ、アデーレを探しに行こう。多分、何かがあったんだよ」

僕はテーブルを離れて部屋の入り口に走った。

「待てよ」

「どうして?」

小ガルシアの鋭い声が制したので、僕はドアの前で振り返った。

「下手にうろうろするべきじゃない。客ってものは通された所でおとなしく待つべきなんだ」

結局小ガルシアの言葉に従って、僕らは部屋を動かず待ち続けた。そして、僕の予感は的中してしまった。僕らが食堂に呼ばれたのは夕食には少し遅い時間で、カンラートさんはくたびれ果てた様子をしていた。そして、そこにアデーレの姿はなかった。

「君たちを放っておいた形になって申し訳なかった」

カンラートさんは開口一番僕たちに謝った。

「君たちを忘れていたわけではないんだ。ただ、色々と厄介な問題がもたらされたんだ。まず、何から話せばいいだろう」

「アデーレは、アデーレはどうしたんです?」

僕はとりあえず彼女の所在を聞いた。

「そうだ、まず彼女の事を話さなければならないね」

彼はそこで一息つくと、目の前のグラスにある水を飲み干した。

「とにかく、彼女はもうここにはいない。西から緊急の帰還命令が来て飛ぶように帰って行ったよ」
僕らは全員息を飲んだ。僕は思わずマリーシャと顔を見合わせた。小ガルシアはともかく、僕らはどうすればいいんだろう。

「アデーレからはいくつかの伝言を与っている。まず、ガルシア。君にはなるべく早くユリーツィアに来るようにと伝言を頼まれている」

「ユ、ユリーツィア?」

小ガルシアはびっくりして眼を白黒させている。

「そうだ。理由はあとで話す。それから、リェイジュンとマリーシャに対してはフィオリアに戻るか、ここにいるか自分で選ぶようにと言っていた」

「ええっ?」

僕は思わず大声を上げた。

「それは、どういう意味ですか?」

マリーシャは冷静に伝言の真意を尋ねた。

「水沸谷に戻るつもりなら、サントニールまでガルシアに同行してくるように。ただ、もし、二人がここにいたいというのなら、君たちの面倒は一切わたしが引き受けるということになっている」

マリーシャも僕も黙って互いの顔を見た。

「とりあえず、何が起こったのか教えてください。なぜ姉貴はよりによってユリーツィアに向かったんです」

「それについてはこれから話すよ。とにかく、冷めないうちに食事をしよう」

僕は、何が何だか分からなくなってきた。見ず知らずの土地で、アデーレに捨てられたようなものだ。何があって僕らをほっぽり出していったんだろう。とにかく食事をしてから今後どうするべきか考える事にした。

「まず、西からの凶報について話そう。テイリール公ハルシエル 1殿が身罷ったという知らせが、ついさっきここに届いた」

僕は思わず小ガルシアを見た。彼は凍りついたようにカンラートさんを見つめている。アデーレの秘密の会合で、よく出てきた人名の一人だ。

「それとほぼ前後して、アデーレのところに早馬がやってきた。ハルシエル殿のお妃レティシア 2殿からの帰還命令だ。おそらく、近いうちに北と一戦を交える事になるだろう。間違いなくそのための召還だ。私はほんの少しだけ彼女と話が出来たが、彼女は状況次第では長期戦になるだろうと言っていた」

カンラートさんの話はまだ続いていた。アデーレが南北衝突回避の為に随分画策していたらしい事、ハルシエル公はまだ若く、不審な死に方をしたらしい事、再び統一戦線が結成され、アデーレはグレスドール公や義兄と共にその中心になる事、等々。

僕は半ば上の空だったので、その時の話はしっかり覚えていない。僕はただ、アデーレの身を案じた。彼女が突然いなくなった事より、テイリール公が亡くなった事の方がショックだった。そのことに、彼女が一枚噛んでいないはずはない。僕らを東に連れて行くという口実を設けて、彼女は南に行かなかったのだ。きっとそうした事件が起きる事をあらかじめ知ってのうえで行動したに違いない。

二度とアデーレに会えないのではないかといういやな予感を、僕はずっと振り払えずにいた。それは、僕がこれからどうなるかという事より心配だった。

「リェイジュン。君はどうしたい? このままここに残っても、一向に構わないんだよ」

突然名を呼ばれて、僕はびっくりした。知らない間に、僕らの処遇の話になっていたのだ。

「僕はフィオリアに戻るつもりです。その方が、家族が生きていた場合連絡がつきやすいと思いますから」

僕は即答した。ここは決して悪い場所ではない。でも、アデーレがいない今となっては、住み慣れていて顔見知りのいる土地で過ごしたい。

「私もそうします。こちらにおいて頂けるのはありがたいことですが、出来れば草原で暮らしたいんです」

マリーシャはそう言うと黙って僕の手を握った。僕も握り返した。そうだ。草原だ。僕は早く草原で羊を追う生活に戻りたかった。

「分かった。路銀については心配いらない。明日にはここを出た方がいいだろう」

夕食後、僕ら三人は寝室に引き取って今後の事について話し合った。誰もが気が重く、それぞれの今後について考えていた。

「アデーレはあらかじめ知ったいたんだ」

「まちがいないだろう」

小ガルシアはベットに寝そべり、例の秘密の会合の事を思い出しているようだった。

「知ってたから、僕らを東に連れて行く事を口実に南行きを断ったんだ」

「なあ、それ、何時の話だ」

「さあ、何時だったかな。ねえマリーシャ、東に連れてってと話したのは何時だっけ?」

「私が水沸谷について間もない頃だわ」

「じゃあ、二月ぐらい前かな?」

「それより少し前だな。名前が出たのは、俺が同席を許された最後の会合だった」

「もう、その話はやめましょうよ。それより、私たちが今後どうするかを考えなくちゃ」

確かにそうだった。サントニールまでは小ガルシアがいる。でも、そこから先は、僕とマリーシャだけだ。果たして二人だけで水沸谷に戻れるだろうか。

「サントニールは行きに通ってきていないから、そこから先は全く道が分からないよ」

「ええっ?」

小ガルシアは飛び起きて目を丸くした。

「通ってきてないって、お前たちどういう経路でここに来たんだよ?」

「鳩の巣山荘から地下坑道経由で来たんだ。いくつかの宿駅をすっ飛ばして、いきなりミルスナディアに出たんだよ」

小ガルシアはため息とともに頭を抱えた。

「あの道は、姉貴と一緒じゃないと通れない。俺一人じゃ絶対に迷っちまう。そもそも、ユリーツィアに向かうなら、その経路はとれない。通常通りニダラーフェシュル街道を通らなきゃ」

「サントニールから水沸谷までどれぐらいかかるのかしら?」

「少なく見積もって二日だな。サントニールからクラコスまで半日、クラコスからディラスケスにそって東に向かって丸一日だな。今の時期は出来る限り野宿せずに行く方がいい」

小ガルシアの言葉を聞いてマリーシャはさらに不安になったみたいだった。

「ねえ、私たちを水沸谷まで送ってくれないかしら」

「その心配はないんじゃないかな」

「どうして?」

僕はびっくりして小ガルシアに尋ねた。

「多分、トリエラの廃墟に姉貴がいるんじゃないかと思う。そのつもりで、俺にサントニールまで同行するように言ったんだろう」

「なんでそんな所に?」

「あそこには、姉貴が建てた親父の墓があるのさ。墓参りのついでにお前たちを拾おうって算段をしてるんだろうよ」

僕はそんな所に墓があるなんて全然知らなかった。それ以上に、アデーレがかなり律儀である事に驚いた。

「じゃあ、あの時僕がアデーレに会ったのは…」

「多分、命日かなんかじゃないか。きちんと葬儀が出来ないまま、遺体は埋葬もされずうやむやになってしまった。おそらく狼にでも食われたんだろう。だから、遺体が安置されていた場所に墓を建てたらしい。そう言えば、姉貴の骨の話は聞いてるか?」

僕はマリーシャと顔を見合わせた。あの話は一体どこまで本当なんだろう?

「骨を見せてもらったわ。でも、そんなの嘘に決まってる。一度燃えた人間が生きているなんてあり得ないわ」

僕もあれは、信じられなかった。現に今いるアデーレは五体満足で、体のどこかが燃えてしまったとは思えない。きっとあれは大ガルシアの骨に違いない。

「俺もその話は話半分に聞いていた。骨は見せてもらってないけど、どう考えても普通はあり得ない話だよな」

そうだ。仮に、腕が一本燃えてしまった所で一命を取り留めたなら話は分かる。アデーレの骨があっても別に驚きはしない。

「でも、一概に嘘ではないかもしれない」

小ガルシアの言葉に僕はなんと答えていいか分からず、ただ黙っていた。アデーレ伝説にことさら荷担するつもりはないけれど、小ガルシアの言葉には何か根拠がありそうな気がした。

「どうして?」

沈黙を破ったのはマリーシャだった。

「中央大陸にも魔女伝説はある 3んだ」

小ガルシアはおもむろに話し始めた。

「姉貴が何度か歌ってくれた。もちろん、原語は俺には分からない。ただ、そこにこういう歌があるんだ」

魔女は見ていた。
見えないはずの
右目で見ていた。
見えないはずの右目で
見えないはずの
未来を見ていた。

魔女の言葉をきいた
未来の見えない
みんなが集まった。
みんなで魔女を捕らえ
みんなの前で
魔女を焼いた。

魔女は三度みたび 焼かれて
三度みたび蘇った

「別に俺は信じている訳じゃない。ただ、姉貴は自分で自分のことを魔女だと言っていた。そして、万一自分に何かがあっても心配はいらない、死んだふりをする事は得意なんだって」

僕は黙って聞いていた。じゃあ、あのトリエラ陥落の折は死んだふりをしていたって事なのか?

「あの、焼け跡で見つかった骨が姉貴のものだと言いたい訳じゃない。姉貴は死ぬつもりなんて無いし、まして死を恐れてなんかいない。だから今回だって心配いらない」

そう言われても、僕は何だか腑に落ちなかった。

「ねえ、その話もっと詳しく聞かせてよ」

マリーシャが身を乗り出している。また始まったのだ。

「今日はもう寝ようぜ。明日早くにここを立つんだし、これから先話す機会はいくらでもある」

小ガルシアは大きな欠伸を一つすると、ベッドの中に潜り込んだ。

「そうそう、もう寝よう」

僕はベッドの脇にあるランプの火を消してしまった。

「まあいいわ。今度しっかり話してもらうから」

マリーシャはふてくされたように横になった。

実はこの魔女伝説は、後年意外なところで裏付けられた。なんと、カンラートさんが知っていたのだ。そしてカンラートさん自身は、彼女は魔女で、少なく見積もっても二回死んで蘇っていると信じていた。

「私はヘイド 4を見つけた。そう思って狂喜したものだった。ヘイドが現れたという事は、我々の王国が再び力を取り戻す時が来たという事だ。私はそう信じて疑わなかった」

後年、カンラートさんは僕にそう語った。

かつてヘイド発見の報告をもたらしたのは、大ガルシアだったらしい。当時半信半疑だったカンラートさんは、ガルシアの死後死んだはずの彼女が再び現れた時、彼女が魔女であると確信したという。

でも、もう彼女は現れなかった。果たして彼女にとって今回が何度目の死に当たるのか。それは、誰にも分からない。


Notes:

  1. ハルシエル・テイリール・ディル・ユリーツィア(八六四~九〇一)。第二次対帝国統一戦線の実質的主導者。母方からグレスドール大公家の血を引いており、イグナシオは遠縁にあたる。その死に関しては毒殺されたと見る説が有力。
  2. 旧姓テイリール・ディル・ソレティア。テイリール一族ソレティア家の宗家に生まれる。ガルシアやアデーレとは同族。ちなみにテイリール一族はソレティア家、ユリーツィア家、アレッサ家の三系統に別れており、それぞれトリエラ、ユリーツィア、イリスタンを本貫としている。
  3. ファシュルにおける一連の魔女伝説は、むしろ中央大陸の魔女伝説の影響下で成立している。
  4. 森の主に仕えていた巫女を指す言葉。