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中は少し薄暗く、外の光に慣れていた僕は目が慣れるまで少し時間がかかった。中にはいくつもの鳥籠が並び、いくつかは天井からつり下げられている。甲高い鳴き声と羽ばたきの音で相当の鳥がいることはわかった。
「極楽鳥、あるいは風鳥というらしい」
アデーレはそう解説してくれた。鳥籠に近づくと、鳥は侵入者に恐れをなしたのかバタバタと羽ばたきをした。かつて見たことがないぐらい極彩色に彩られた鳥だ。
「これ、絵の具で色を塗ったわけではないわよね」
「当然、そんなことはない。南の島に行けば、この姿で森の中に住んでる」
羽の色は黄色やオレンジ、赤など明るく美しい色で彩られており、鶏とは比べものにならないぐらいきれいなとさかをつけている。
「何を食べるの?」
「たぶん、普通は果物か木の実でも食べているんだろう」
僕らはしばらくの間色とりどりの風鳥に囲まれ彼らを眺めていた。彼らはみんな雄で、雌はこれほど美しい羽をしていないらしい。
「雄の方が美しいなんて何だか解せないわ」
「そんなこと言われても、風鳥だって困るだろ。そろそろ行こう。アデーレは急いでいるみたいだし、お腹ぺこぺこだよ」
僕がマリーシャをせっついて外に出ると、アデーレの周りに人だかりができていた。いろいろな人間が親しげに彼女に話しかけている。僕らがそばに行くと、人だかりは僕らを取り囲んだまま動き始めた。
「なあに? この人たち」
僕はアデーレを見上げて聞いた。この人の輪のおかげで、僕らは難なく人混みを歩くことができた。
「魔女の信奉者だよ。平たくいえば私の常連客だ」
アデーレの常宿、東雲亭につくと、取り巻きは笑顔で手を振って三々五々と散っていった。口々に何か言っているけれど、僕にはさっぱりわからない。
「なんて言ってたの?」
彼らの姿が消えたあと、僕は宿に入ろうとするアデーレに聞いてみた。
「こっちの言葉で、またあとって意味だ。たぶん、今夜あたりまた宿に顔を出しに来るよ」
「ねえ、早くお昼にしましょうよ。もうお腹がぺこぺこ」
マリーシャに促されて僕らは宿の中に入った。宿は外観のとおり、大きくてゆったりとした造りになっている。広い大広間には宿泊受付窓口らしきカウンターがあり、しゃれたソファーと小さなテールがいくつか置いてある。
僕らは広間を横切って、一階の隅にある食堂に入った。
「ねえ、ここ、本当に入っていいんだよね?」
僕は思わず傍らにいるアデーレを見上げて聞いてしまった。今まで入ってきた食堂とは明らかに様子が違った。布張りの椅子に白い布がかかったテーブル。今まで酒場兼食堂という場所に慣れきっていたので、奇妙な居心地の悪さを感じる。
「大丈夫。つまみ出されたりなんかしないさ」
僕らが居心地悪そうにしているのがよほどおかしいらしく、アデーレはくすくす笑っている。好きな物を注文してくれると言われたけれど、僕らはすべてアデーレに任せた。そして出された物を黙々と平らげることでどうにか居心地の悪さを忘れるように努めた。
何しろアデーレはテーブルを離れ、食堂の隅で宿の女将さんらしき人と若旦那らしき男となにやら話し込んでいる。置き去りにされると、何となく周囲の視線が感じられて落ち着かない。僕は隅っこの方で親友のようにうち解けて話している三人を眺めた。ともに旅をしてきて常々思うのだけれど、アデーレはどこに行ってもその場になじみ、とけ込んでしまう。今だってくたびれた旅装をしているけれど、女将さんや若旦那にひけをとるようなところはない。
彼女が僕らのテーブルに戻ってきた時には、ほとんどといっていいぐらい何も残っていなかった。
「食べなくていいの?」
僕は口をもぐもぐさせながら聞いたけれど、アデーレは黙って首を振った。何か別のことを考えているみたいだ。
「ああ、パンだけでいいんだ」
一呼吸遅れてそう言うと残っていたパンを食べて牛乳で流し込む。どう見ても足りない。
「それだけじゃ体によくないよ。何か頼めばいいじゃない」
「大丈夫。夕飯はしっかりとる。今夜はここに泊まらない。部屋も満室だし、市の期間にここにいても落ち着かないからね」
「じゃあ、」
どうするつもりなのと言いかけた時だった。派手な音をたてて一人の少年が食堂に転がり込んできた。
「姉貴!」
彼はそう叫ぶと僕らに向かって右手を軽く挙げた。まっすぐ僕らのテーブルに走ってくる。
「ガルシア。どうだい、少しは腕を上げたか」
「そりゃあ、当然よ」
僕はびっくりして開いた口が塞がらなかった。
「ニレドから連れてきたんだ。彼がリェイジュン、こちらがマリーシャ。二人とも紹介するよ」
そう言われたので、僕らは大あわてで立ち上がった。
「彼はガルシアだ。私の親父のガルシアが死ぬ直前に作った子だよ。つまり私にとっては義理の弟なわけだ」
「以後よろしく」
僕は黙って彼と握手し、黙ってマリーシャの方を見た。マリーシャも黙って僕の方を見ている。ガルシアって結婚してたのか。僕らの疑問を察したらしく、小ガルシアは面倒くさそうに説明した。
「俺のお袋に、親父が手をつけたんだ。俺が生まれる前に親父は死んじまった。俺はいわゆる父なし子さ。俺の両親は正式な結婚をしてないんだよ」
「待って、アデーレが事実上の奥さんだったんじゃあ」
マリーシャの発言に、アデーレと小ガルシアは顔を見合わせて爆笑した。
「まさか。あの人が亡くなった時点で、私はまだ成年式を済ませていなかった。つまりまだ結婚できる状態じゃなかったんだ。だから何人もの女にこうして手を出していたんだ」
「そうして俺が生まれたってわけだ」
僕は黙って小ガルシアを観察した。小柄なやせぎすの男で、僕とたいして年格好は変わらない。本当にガルシアの息子なんだろうか。もしそうなら、今は一五歳のはずだ。
「ねえ、年はいくつなんですか?」
「こう見えても一五だ。まあ、ろくでもない生活をしてたから一五にしてはそんなに大きくないけどな」
「ろくでもない生活?」
「こう見えてこいつは苦労してんだよ」
アデーレが話に割って入ってきた。
「そう、俺はお袋に捨てられたようなもんなんだ。乳飲み子を抱えて生活できないから、俺をサントニールのばあちゃんに預けてた。それで、お袋一人でイルファレンまで働きに出た。でも、それっきり音信不通」
「そ、それで、どうやって暮らしてきたの?」
「ばあちゃんが生きてる頃は野良仕事を手伝って生活していた。でも、ばあちゃんが死んじまって、家や畑は地主に取り上げられちまった。俺は仕方がないからイルファレンのお袋を探しに来た」
「それで、お母さんは見つかったの?」
マリーシャがおそるおそる尋ねると、小ガルシアはあっさりと首を横に振った。
「どこを探しても見つからない。そもそも、俺はお袋の顔をよく覚えているわけじゃない。もし、源氏名を使って働いているならどう頑張っても見つけられないんだ。物乞いをしたり、スリをしたり、食べるためにできることはなんでもやってきた。姉貴に拾われなかったら、今でもその生活を続けていたよ」
アデーレは笑って傍らの小ガルシアを眺めている。
「ガルシアの、親父の落とし種がいるという噂は前から耳にしていたんだ。だからずっと探していた」
「そうそう、姉貴が俺を拾った時の誘い文句が秀逸でね」
小ガルシアは身を乗り出して、人差し指を立てた。
「またその話か。もういい加減にやめろよ」
「弟子になれば食い物にも困らないし、上達すれば王様から城に招待されるぞってね」
アデーレも小ガルシアもお腹を抱えて笑っている。僕らはその冗談のどこがおもしろいのかさっぱりわからなかった。
「ねえ、その王様に招待される話、最近ここではやっている冗談なの?」
マリーシャが真顔で聞いたので二人はさらに大笑いし始めた。
「なんだ姉貴、二人はアデライーデ・テイリィーリャ 1を知らないのか?」
「ああ、わかっていないよ。でも、今夜にでもわかるさ」
「そうだろうな。姉貴がやって来たって話はもうイルファレン中に流れているよ。知ってる? もう、女将さん旗を立てたぜ」
「旗を立てる?」
僕は何のことやらわからず、おうむ返しに聞き返した。
「私が来ると、この宿の屋根の上に青い旗を立てることになっているんだ。つまり、魔女が来てるってことが一目瞭然なんだよ」
「それで、いったいどんな効果があるの?」
マリーシャの質問ももっともなことだ。みんながみんな魔女の首を求めにやってくるんだろうか。
「多くの人間が私の歌目当てにここの食堂に集まるんだよ。場合によっては、何人かの知り合いが尋ねてくることもある」
「見ていればわかるよ。姉貴は超有名人なんだ」
二人の言葉は決して嘘でも誇張でもなかった。夕刻になるにつれ、食堂には人が集まりだしたし、実際招待杖がアデーレのもとに届けられた。
僕はあとになって知ったんだけど、ここでは決して悪い意味で魔女 という言葉は使われていない。それはほぼ巫女と同意義で使われており、むしろ優秀な歌い手に捧げられる最高の敬称ですらあった。王を先導した巫女もまた歌い手だった。歌い手であると同時に予言者だった。来し方に通じる者は行く末にも通じる。ここでは王の歌の歌い手、すなわち吟遊詩人たちは一種の予言者なのだ。だからこそ王は優秀な歌い手を尊重し礼を持って迎える。
僕とマリーシャが食事を平らげると、アデーレは小ガルシアを伴って宿の屋根裏部屋に引っ込み、待ってたとばかりに弦の調律を始めた。そして単純な調べの曲を腕慣らしのように爪弾いた。
「なんて曲なの?」
「通常「指慣らし」といわれる練習曲だ」
僕が聞いてもアデーレは指を止めずに答えた。曲は繰り返すごとに装飾音が増えていき、今では相当指の忙しい曲になっている。
「ガルシア、王の歌は完全にものにできたか?」
アデーレは演奏の手を止めず小ガルシアに話しかけた。
「もちろん。もうほとんどつっかえないさ。ただ、」
「ただ?」
「最後の王統譜 2がなあ…」
アデーレは大きなため息をついた。さすがに一瞬彼女の指がもつれた。
「一番肝心なところでつかえてどうするんだよ」
彼女はひとしきり黙ると曲の末尾を丁寧に弾きこなした。単純な調べは、いつしか相当の技巧を必要とする曲に様変わりしている。
「今からできるところまで王の歌を復習うんだ。いいかい、逆から始めていくんだ」
「わかった」
小ガルシアは弦を持って立ち上がると、ほこりをかぶった木箱の上に腰掛けた。
「二人とも聞いててやってくれ」アデーレは僕らの方を振り返って言った。「こいつはもう独り立ちするんだ。私の唯一の弟子なんだから」
小ガルシアは軽く咳払いした。意を決したように弦を持って木箱から立ち上がる。
「逆から復習っていくんだな?」
「そう。私は添え歌 3を歌う」
小ガルシアは大きく息をつくと、ほとんど節らしい節がない口上のようなものを唱え始めた。何を言って
いるのかさっぱりわからない。だいぶ長くに渡ってそれらを唱え続け、口上が終わると再び木箱に腰掛けた。そして派手に弦をかき鳴らしながらゆっくりと歌を歌い始めた。
僕もマリーシャも思わず顔を見合わせた。だって、小ガルシアの外見に似合わず、太くてしっかりとした声が響き始めたから。全く臆することなく歌う姿は、確かにアデーレの言うとおり一人前として通用する水準にある。
曲の途中で、小ガルシアの歌に答えるようにアデーレが歌い始めた。小ガルシアの歌う荘重な調べに比して、アデーレが歌う節はどこかもの悲しい気配を漂わせていた 4。二曲は互いに響きあい、調和しながら一つの歌を形成している。小ガルシアが歌っているのが本歌(もとうた)アデーレが歌っているのが添え歌というらしい。
二人は明らかに違う内容の歌を歌っていた。だけど、あくまで二曲で一曲なのだ。同時に別々の歌を歌っていても違和感はない。一つの曲として調和的に聞こえるよう、厳密な調整が行われているのだ。
演奏の途中で、マリーシャが僕の手をつかんだ。僕は夢中になって聞いていたので、かなり驚いた。
「ねえ、この曲」
彼女は小声で僕の耳にささやくように言った。「森焼き歌」だ。なぜかこの歌だけは二人同時に歌っている。でも、歌詞はいわゆるニレド=フィオリア方言ではない言葉だ。それでも、歌の内容は僕にも理解できた。アデーレは小ガルシアを追いかけるように歌い、同じ歌詞を節を微妙に変えて繰り返している。
ところが、続く巫女の返し呪歌になると二人の受け持ちは逆転した。アデーレが主旋律をとったのだ(この一曲は彼女の一八番だったに違いない)。彼女が呪歌末尾の繰り返し部分を超高音で歌い始めた時は、体が震えたのを今でも覚えている。なんていったらいいんだろう。たぶん、今ここで森の巫女が歌っているような錯覚を覚えたのだ。
彼女が長い最後の一音を歌いきると、窓の外から歓声と拍手が響いてきた。屋根裏まで聞こえるぐらいだから、下では相当数の人間が聴いているはずだ。二人の歌い手は無頓着に、また二つの歌に分かれて歌い続けている。そして絶妙なバランスを保ち、調和と歌詞の追いかけっこを繰り返した。
以後は二人同時に同じ歌を歌うことはなかった。もっと歌が進めばそういう場面もあったかもしれない。だけど、この練習は突然打ち切られてしまった。しびれを切らした女将さんが屋根裏部屋にやって来て、二人の歌い手を階下に引っ張っていったからだ。
「ねえ、私たちも下に行きましょうよ」
「あ、ああ」
その時になってようやく、もともと薄暗かった屋根裏部屋がかなり暗くなっていることに気づいた。それぐらい僕は二人の歌に完全に心を奪われてしまっていたのだ。きっと、二人の演奏は一部の人間を除くと大いに迷惑な代物だっただろう。宿の前に人だかりができて通行の邪魔になったに違いない。人通りが減る夕方以降ならともかく、市のたっている昼日中に通りが塞がってはたまらないだろう。
Notes:
- 五章の末尾にもあるとおりテイリールの魔女という意味。当時アデーレがイルファレンにおいてトリエラ出身の「魔女」、すなわち西から来た優秀な歌い手と認識されていたことが伺える。 ↩
- 現存の「王の歌」の末に掲載されている系譜と同一であるか否かは不明。しかし誰の前で歌うかによって若干の異同があったらしいことがわかっている。当時の吟遊詩人には歴史的地理的な知識だけでなく、系譜学的知識も要求されていた。 ↩
- 話の本筋である本歌に付属的に配された歌らしい。「王の歌」末尾に添えられる「諒王挽歌」と、孔雀断簡の「峠越歌」に添えられる「焼け野が原のふくろう」以外詳細は不明。『ファシュリア古歌謡集』には「諒王挽歌」しか記録されていないことから、当時既に歌われることがまれであったと考えられる。 ↩
- もしここで「王の歌」が末尾から冒頭に向かって逆順で歌われているとしたら、アデーレは「添え歌」としていわゆる「諒王挽歌」を歌っていた可能性が高い。 ↩