第四章 鳩の巣山荘(2)

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「さあ、冷める前に食べよう」彼女はそう言って椅子に座った。「食料の心配はいらない。順調にいけばお腹がすく頃にはミルスナディアにつくだろう」

腹が減っていたこともあって、僕らはしばらくのあいだ無言で食事をしていた。乾燥きのこを使ったスープは予想外においしく、冷え切った体を内側から温めてくれた。暖炉の火であぶった鶏肉の薫製と堅焼きパンは思っていたほど悪い取り合わせではない。僕はあっという間にその日の夕飯に割り当てられた分を食べきってしまった(あれからもうずいぶんとたつけれど、あの日あそこで食べた夕飯の味は忘れられないし、あれ以上においしい夕飯は二度とないだろうと思う)。

「ガルシアとここに来たのは何年前?」

僕は食べるものがなくなってしまったので、早速昔のことを聞き出しにかかった。

「ゆーあえんめえ」
アデーレは口の中にパンを詰めたまま答えたので、何を言っているのかわからなかった。

「はあ?」

「一三年前だ」

水でパンを流し込み彼女は正確に発音した。

「それって…」マリーシャがためらいがちに口を挟んだ。「もしかしてセルクリッドの敗北の時にここに来たってこと?」

「ああ。私も含めてたった六人の手勢だけで撤退してきた時だよ。カーディス旗下の部隊とはぐれちゃってね。少人数だったこともあって、細い東古道 1を選んだんだ。そこから古王国坑道 2をくぐってこの火の山古道に出てきた」

「東古道?」僕は思わず聞き返した。「そんな道の名前は聞いたことがないよ。それに、その古王国坑道って何?」

「いわゆる『王の道』のことだよ。聞いたことぐらいはあるだろう。故国を追われた王の末裔がグレスドール、ニレド、フィオリアと南へ南へ移動を繰り返した。その過程で通ったといわれる蒼龍山脈東麓の道のこと」

僕は思わず隣にいるマリーシャを見つめた。王百遷の伝説は知ってるけど、その道が残っているなんて思ってもみなかった。

「日の影は遙か北なるふるさとを…とかそんな感じの歌を聞いたことはある。なんでも、詠み込まれている地名を並べると古い古い道がわかるって、おばあちゃんが言ってたわ。その『王の道』ってこのことでしょ」

「 我が影は 遙か北なる
故郷ふるさと を 恋ひつつあるか
来し方の 北をただ指し
中つ国 天なる辰の
淡海の 畔に立てど
我が影は 水面に落ちず
ただ一人 国へ帰ると
我を置き 北の大川 渡りゆきけり

ってやつだな。王の道行き歌の一つ、龍神湖」

「でも、今そんな地名は残ってないし、第一湖なんてどこにもないじゃないか」
北の大川がどこを指しているのかもよくわからないけれど、いずれにしたってこのあたりに湖なんてありはしない。

「干上がってなくなっちゃったけど、いわゆる龍の墓場の近くにかつては湖があったという話だ。なんでも、その湖のほとりに都をおいた時期 3もあったらしい。まあ、信じられないと思うなら信じなきゃいい。いずれにしたって酒場で酒の肴を求めてる連中が聞く、他愛もない歌に過ぎない。向こうへ行けばわかることだ」

確かに、彼女の言うとおり、東海岸では嫌というほどそうした光景を見せつけられた。彼女の歌は端で見ている限り結構な金づるになっていた。彼女が酒場にでも居ようものなら、歌目当てでやってくる連中はあとを絶たなかったし、そうした連中相手に酒場の方はかなり儲けていた。だからアデーレや僕ら二人がいくら飲み食いしても酒場の主人はびた一文要求しなかった。

「そりゃあ、草原の真ん中に都があったって話はみんな知ってるわよ。森の神に仕えていた巫女を森ごと焼いちゃった極悪な王様の都でしょ。でも、もう私そんな『むかしむかし』から始まる話なんて信じてなんかいないもん」

マリーシャがつんと横を向いたのを見て、アデーレは腹を抱えて笑い出した。

「戦の手柄話よりは信じられると思うがね。まあいい。いずれ大人になってあんたたちが話す番になるんだから。その時はせいぜいおもしろく話すんだね」

「まさかアデーレはあの話をそっくりそのまま信じているの?」

僕はあきれ半分驚き半分で聞いてみた。

「全部ってわけではないけれど、ある程度信憑性はあると思う。そっくり同じ話が東海岸でも、北でも伝わっているし、何よりガルシアが話して聞かせてくれたものだからね。ガルシアは母方の祖母さんからそういうたぐいの話をみっちり聞かされていたし、あちこち歩き回って証拠集め、いや、財宝探しをしていた」

「証拠集め?」

僕とマリーシャはほぼ同時に疑問の声を上げた。

「そう。東古道を通って無事逃げ延びてきたのも、もとはといえばあの人のそういう性癖のおかげなんだ。いわゆる『王の道』の南半分はすべての伝承地を制覇していて、実際、大昔に人が住んでいた場所も見つけている。残念ながら王の隠し財宝はさっぱり見つからなかったが、おかげで私たちは命拾いをしたわけだ。ここからそう遠くないところにもあるから、一、二ヶ所なら案内してもいい」

こんな話を聞かされても、僕らは全く信じなかった。でも、あとからいろいろなことを知るにつれて、彼女の話は徐々に信憑性を帯びてきた。当時の見かけとは裏腹に、彼女は古文献に通じていたのだ。それはおそらく、ガルシアの影響でそうしたものを見ていたわけではない。むしろ彼女が彼女自身を知るための切実な手段として、そうしたものを読み漁ったのだ。アデーレはどこで生まれ、どこから来たのかもわからず、ただ『魔女』と呼ばれていた。そして僕の推測が間違っていなければ彼女は本当の魔女だった。僕は今でも、アデーレが古ケディア語から翻訳したという始原の魔女の歌 4を覚えている。三度焼かれ三度とも蘇った魔女は、ついに隠していた心臓を見つけられ、永久に黄泉へと追いやられた 5

おそらくはこうした魔女伝説から、彼女は自らの行く末について大方の予測をたてていたに違いない。そしてトリエラ陥落、北銀山での崩落事故を、彼女は魔女の死と再生という物語として捉えていたのだろう。でも、僕にはいまだにわからない。果たしてあの時が彼女にとって何度目の死であったのか。

「ねえ、その『王の道』の話をもっと詳しく聞かせてよ。『巫女の大樹』とも連結する話なんだよね?」

当時僕だって話の概要は知っていたし、有名な部分であれば歌もいくつか知っていた。でも彼女のような伝承の大家が身近にいたわけではなく、詳細はよくわかっていなかった。

「全部歌うのは向こうに行ってからだ。半分以上は向こうの言葉で覚えているし、こちらで歌われたためしのないようなものばかりだから」

「えっ、どうして?」

「とにかく食べたものを片して、寝る準備ができてからにしよう」

アデーレはそう言うと席をたって食べ終わった食器をテーブルから運び去った。さらに彼女に質問しようとしたけれど、マリーシャが無言で僕を押しとどめた。

「半端じゃなく長いのよあの歌」

アデーレが食器を抱えて外に出ると、マリーシャが声を潜めるように言った。

「そりゃあ、そうだろうけど」

僕は何だか咎められているような感じがしてきまりが悪かった。

「私たちのご先祖が北から来たことは知ってるでしょ」

「それぐらい当然知ってるさ」

僕は少しむっとして答えた。何だか姉貴に馬鹿にされているような気分だ。僕だって、そんなことは長老の昔語りに聞いたことぐらいある。

巫女の森が焼き払われたあと、アシュレ川からディラスケス川までの土地―つまり今のニレド―がそっくり王国のものとなった。でも平和な時代は長く続かなかった。辰角ヶ岳が噴火してしまったのだ。それに伴う洪水と大飢饉でニレドの大半は荒廃。生き残ったものの、食うに困った人々は豊かな土地を求めてディラスケスを渡っていった。

僕ら草原の民の祖先が、アシュレを越えてニレド入りをしたのはそれからしばらくたってからのことだったらしい。

「そこまで歌い終えるのに一晩かかるらしいわ。うかつに歌ってなんて言わない方が身のためよ」

マリーシャの言葉が誇張でもなんでもなかったとわかるのは、東に行ってからだった。

「それならなおさら聞いてみたじゃないか。本物の吟遊詩人じゃないけれど、彼女は相当数の歌を知っているんだし」

(しつこいようだけど僕はこの時点で彼女のもう一つの顔を知らなかった。東では、歌の対価として宿泊・飲食代はタダだった。その上、「王の歌」 6の歌い手として当地流の正式な招待を受けたみたいだった。つまり彼女は立派な職業的吟遊詩人だった。)

そこでアデーレが戻ってきたので、僕らの話は中断した。

「食器を拭いてしまっておいてくれ。私は寝床の様子を見てくる」

彼女はテーブルの上に食器入りの桶を放置すると、倉庫の中に入ってしまった。マリーシャは立ち上がって布巾を手にし、濡れている食器を次々と拭き始めている。僕はしばらく彼女の手つきを眺めていた。

「ねえ、ぼけっとしてないで手伝ってよ。戸棚に食器をしまうぐらいできるでしょう」

「あ、ああ」

僕は言われるまま、立ち上がって同じ食器を重ねた。戸棚の中にはさして食器がなく、僕らが使った食器と同じものは皆無だった。僕は適当に食器をしまってテーブルに戻った。残っているスープ皿とスプーンをしまうと、僕らのやることはなくなった。

「アデーレ、何してるんだろう」

僕は倉庫の扉を眺めて呟いた。同じことはマリーシャも気になっていたらしく、同様に扉を見つめている。

「ちょっと覗いてみる?」

僕らはうなずきあって扉の前に立った。

「アデーレ」

マリーシャがおそるおそるドアを開けたけれど、彼女からの返事はなかった。

「アデーレ?」
僕は思い切って倉庫の中に入ってみた。暗くてよく見えないけれど、そこは人が三人も入れば窮屈になる程度の広さしかなく、何も置いていなかった。おまけに、アデーレの姿もない。

「嘘でしょ?」
マリーシャは慌てて外に飛び出した。確かに彼女はここに入っていったし、ここから出て来ていないはずだ。

「アデーレ!」

僕は大声で呼んでみたけれど、当然返事は聞こえない。マリーシャのあとに続いて、僕も外へ飛び出した。完全に日が落ちてしまい、雪明かりでかろうじて周辺の景色が見える。

「いったいどうなっているのかしら」

あたりをきょろきょろ見回しながらマリーシャが僕の傍らに立った。

「たぶん、隠し部屋か何かがあるんだよ。だってこの山荘、見かけの割に中の部屋が狭いと思わないか?」

おそらく、あの倉庫に隠し扉か何かがあるに違いない。

「そういえば、どう見ても二階があるのに階段が見あたらないわ」

僕らは山荘から少し離れて二階部分を眺めた。一階は台所と暖炉のある部屋、そして狭い倉庫しかない。きっとアデーレの言う寝床は二階にあるのだ。でも、階段はどこだ?

「アデーレっ!」

マリーシャは懲りもせず、大声で彼女の名前を呼んだ。

「中で待っていよう。寒いだけだよ」

僕が中へ入ろうとした時、突然頭上で物音がした。僕たちがまた顔を見合わせて二階に目をやると、聞き慣れた笑い声が降ってくる。案の定、ランタンを持ったアデーレがテラスから顔を出した。

「今迎えにいくから」

彼女はそれだけ言い残し、また顔を引っ込めた。

「きっと倉庫から出てくるよ」

僕はマリーシャを促して、山荘の中に戻った。薪を入れなかった暖炉は火が小さくなっている。僕は大急ぎで薪を二本暖炉につっこんだ。

「いったいこの山荘はどうなってるの? 二階に上る階段はどこにあるの? なんでわざわざ隠してあるのよ。」

アデーレが姿を見せるや否や、マリーシャは彼女に駆け寄って質問攻めにした。

「今案内するよ。中を見れば理由もわかるはずだ」

彼女は僕の方を見て手招きした。僕は黙って二人のあとについて倉庫の中に入った。

「ちょっと持っていてくれ」

彼女の差し出したランタンを僕が受け取ると、彼女は右側の壁の手前部分を思いっ切り蹴りつけた。石同士がこすれあうゴゴゴというような音がたち、壁がずれて人が通れるぐらいの隙間があく。壁自体がどんでん返しになっているのだ。

「地下に通じる階段がある。」

アデーレはそう言って隙間の向こうをあごで指し示した。

「地下?」マリーシャが驚いて彼女を見上げた。「二階に行くんじゃなかったの?」

「一旦地下に降りないと二階に出られないんだよ。見かけによらず凝った造りになっているんだ」

僕がランタンを持っていたので、ひとまず壁の向こう側に入ってみることにした。

「気をつけた方がいい。一歩足を踏み入れたところから一段下がっているから」

壁の隙間をくぐり抜けようとした時に忠告してくれたんだけど、残念ながら僕は前につんのめって転げ落ちそうになった。アデーレが僕の服をつかんだから、無事だったけど、僕の代わりに転がり落ちていったランタンは暗闇の中でかなり長く音を立て続けていた。

「大丈夫か?」

「ありがとう。ランタン以外は無事だよ」

僕は思わず後ずさりをするように壁のこちら側に出た。ランタンがなくなり、暗くて互いの姿を確認できない。

「全くドジなんだから」

倉庫の扉の外からマリーシャの声がしたかと思うと、松明代わりにした薪を持って現れた。

「暖炉の火は消してきたわ」

「ありがとう。あとは寝るだけね」

アデーレは松明を受け取ると、先に壁をくぐって僕たちの足元を照らしてくれた。階段は予想以上に長く、地面よりかなり掘り下げたところに地下室が造られたことがわかる。

「ここが地下二階だ。別の階段で地下一階へ、そしてそこから二階に上る別の階段がある」

長い階段の下でランタンを拾い上げ、アデーレが僕らを振り返って言った。

「何かの倉庫?」

松明の明かりの向こうに、何かが積まれているのは確認できた。アデーレが黙っているので、僕は手探りで近くの棚にあるものを物色した。

「もしかして武器庫?」

マリーシャの言葉に、僕は思わず手を引っ込めた。

「ガルシアの親父は武器商人だったんだ。それ以外に何を貯蔵するんだ」

松明を持っていたアデーレが近づいてきたので、棚に積まれているものの輪郭がはっきりと浮かび上がった。紛れもない、それは太刀の山だった。鞘に収められ、動かぬように窪みのある木の棚に整然と並べられている。ざっと見積もっても百振り近くある。

「全く使われていないんだ。願わくば使われずに朽ち果てることを祈りたいんだがな」

松明を床に置くと、アデーレはその中の一本を取り上げた。高い鞘走りの音をあたりに響かせ、刀身が姿を現す。

「少なく見積もっても一五年放置されていたんだ。表面にはずいぶんとさびがついている」

太刀の裏表を確認して、彼女は再び鞘に収めた。カチッという硬質の音が、煉瓦造りの地下室に反響する。

僕は、アデーレが太刀を棚に収めるのを黙って見ていた。おそらく、ガルシアの死によって実行されなかった計画のためにそろえられたものなのだ。そしてこのことを知る人間は、そのほとんどが鬼籍に入ってしまった。

統一戦線は解体し、この武器を使う者もいなくなり、人知れずここで眠り続けていたのだ。でも、いったい、いつ誰が使うためにとっておいたものなのだろう。太刀だけで百振り、おそらくそれ以外に弓矢や槍なんかもあるはずだ。それだけの軍勢を新たに確保する見込みが当時の統一戦線にあったのだろうか。


Notes:

  1. 詳細不明。現在残されている「王の歌」では、王の一行が蒼龍山脈の東側に出るのはカンラート王の代以降のことである。当時は現「王の歌」に収録されていない挿話が存在していたことを伺わせる。
  2. このあと一行が通る道のいずれかを指していると思われる。しかし東古道がどこにあるのかわからないので、こちらの詳細も不明である。
  3. 神話的な古王朝時代の末期にあたる。「王の歌」によれば第二一代ナグドラ王から二三代ノルアード王(通称森焼き王)までの期間。
  4. 始原の魔女とはは最初のアデライーデのことを指す。この歌は第七章の末に全文が掲載されている。
  5. 世界の中心を支えていた柱を壊した角で魔女は三度火刑に処されたが、そのたびに蘇ってしまった。業を煮やした王が魔女の首を切断すると、魔女は別のところに保管してある心臓を焼かない限り死なないことを白状する。心臓を見つけた王は魔女を黄泉へと追放し、世界は王のもとで繁栄したと伝わっている。ここから、魔女の首を手に入れたものは世界の支配者になるという伝説が生まれた。肉体の外部に隠された心臓を破壊するというモチーフはギガントマキア(巨人戦争)伝説でもしばしば見られる。
  6. 中央大陸からファシュルへ渡ってきた王の末裔が、最終的にイルファレンへたどり着くまでを歌った長大な叙事詩。文字化された現存最古の「王の歌」は八〇〇年代半ば頃と推定されている柱ヶ丘文庫旧蔵の孔雀断簡(孔雀柄の箱に収められていたことから名付けられた)だが、杖指峠地名起源説話部分しか現存しない。完本は九三五年のリェイジュン自筆本『ファシュリア古歌謡集』第一巻から四巻収録のものが最古。