第一章 魔女再来(1)

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ここに著そうとしているのは、東の魔女、すなわちアデライーデ・テイリーリャについて私が見聞した限りのことだ。彼女は養い親であり、フィオリアにおいて展開された第二次対帝国統一戦線の副将であったガルシア・テイリールによってシャニィと名付けられており、東都イルファレンにおいてはクリーダという呼称でもって呼ばれていた。フィオリア―イルファレン間での出来事から察するに、他にも我々が把握できていない名前が彼女につけられていた可能性は高い。
彼女についていったいどこから語り始めるべきか。それは実に悩ましい問題だ。失われた統一戦線の拠点、ソレティアでの出会いから語りおこすべきか。あるいは我々が出会うに至った経緯、すなわち北の帝国と南の小国家群の成立から始めるべきか。はたまた、伝説上の初代魔女から話し始めるべきか。
魔女はこの地における歴史的背景を抜きにしては語れない。魔女とは何であるかということも含め、あらゆるものには多くの歴史が伴っている。換言すれば、この地においてはあらゆるものにそれ独自の物語が付随しているのだ。
しかし、ここで「王の歌」ならぬ「魔女の歌」を展開するつもりはない。世界の初めから今に至るまでを、韻文でもって語るような才は残念ながら持ち合わせていない。私にはただ見てきたことを語ることしかできない。あくまで、私が見聞きして知り得たことを文章に書き起こすことだけだ。
私が魔女と出会い、別れてから、この東の地には多くのことが起こった。魔女は姿を消し、二度と戻らなかった。いくつかの国が統合され、再び分裂した。そうした流れの中で、魔女に関する様々な言説が現れ、現在に至るまでいくつもの噂が飛び交っている。そして、根拠のない多くの伝説が形成されつつある。
まあ、それはそれでいいだろう。何も魔女を題材に歌を歌っている吟遊詩人を責めたり、彼らの商売の邪魔をするつもりなど毛頭ない。ありもしない悲恋物語を仕立て上げて、人々から涙を搾り取っていようと構わないと思っている。
でも、一時期その庇護下にあって行動をともにした身としては、私が見た彼女の実体を記しておきたいと思うのだ。極端に美化されることも、英雄として祭り上げられることもない等身大の彼女の姿を。
では、果たしてどこからどのように書くべきか。多くの試行錯誤と反故紙を経て至った結論は、回想録という形だった。結局のところ、実際に自分の目で見ていない限り物事は信用できないからだ。
ある者は魔女はまだ生きていると言い、またある者はもう死んでいると言う。私はどちらの話も信じられない。むろんできれば前者を信じたいとは思うが、生きている彼女の姿も、逆に彼女の亡骸も見ていない身としてはどちらの話も信じることはできない。
そうなると、当然この話はソレティア廃墟での出会いから始まることになる。しかし、よりにもよってなぜ草原南東部の誰も近づかない廃墟群で我々が出会ったのかということについては、若干の説明が必要になるに違いない。でも、その理由を私自身が知ったのは魔女と別れてからだったという有様なのだ。
このように、魔女について時系列にそって語るということは一筋縄ではいかない問題である。そもそも魔女が魔女と呼ばれるに至る経緯や、私が魔女を魔女と認識するに至る経緯など物語が物語を呼んでしまっていて、何をどこで語るべきか私自身が混乱している。そして混乱のうちに書き記したものが本書であるといわざるを得ない。
何度か改訂を試みたものの、もともと学のない身には、魔女について語ることに自ずと限界がある。以下に語ることは、私自身が見聞したことと、後年知識として知ったことを中心に構成されている。魔女を語る上で調査すべきことや読むべき文献がたくさんあることは承知しているが、本書ではあくまで私が接した魔女、すなわちアデライーデ・テイリーリャについて語ることにする。


 

Notes:

  1. この序はユリーツィア公立図書館蔵の『東方魔女異聞』には収録されていない。それはおそらくユリーツィア本が草稿本を転写していることに起因していると推定される。ユリーツィア本については解説で取り上げている。