「びっくりしたわ。いったい何年ぶりかしら」
簡素な台所に招き入れると、エレミアはまじまじと私の顔を見つめた。
テラン西部の丘陵地帯にある、一軒の薬草農家。
そこを訪ねるのは、彼女の結婚以来初めてのことだった。
フレッドの大怪我と、それに続く死、そして葬儀。
その時に会って以来、約7年ぶりの再会だった。
事実上の育ての母に等しい人だが、私が5つの時に彼女が嫁いでからというもの、つきあいは全くなかった。
結局のところ、血のつながりのないただの拾い者である私など、結婚してしまえばただの厄介者でしかない。
フレッドの死後にそれを悟った。
だから、オーランドに引き取られてからは、一通の便りさえ出していなかった。
「葬儀の時以来だからな。7年ぶりぐらいだろう」
「何が7年ぶりよ。どこでどう暮らしているかとずっと気をもんでいたんだから」
葬儀の混乱とその後のごたごたで、結局彼女には居場所を知らせないまま今に至っていたのだ。
まだ幼かった私を誰が引き取るのか。
結論が出ぬうちに、エレミアは一旦嫁ぎ先に戻った。
乳飲み子だった2番目の子どもを、義姉に預けて葬儀に駆けつけたからだ。
彼女が戻ってくるよりも早く、オーランドが私を山小屋へと引き取っていってしまったため、私の消息は完全に途絶えてしまったのだ。
山人の生活は、里の人間とはほぼ没交渉の世界。
しかも、季節によっていくつかある小屋を行き来することがほとんどなので、引き取り手が分かったところで居場所まで分かるとは限らないのだ。
「とにかく、色々聞かせてもらうからゆっくりしていってちょうだい。さっき摘んだばかりのハーブで、お茶を入れるわ」
彼女がそういって土間に下りようとしたので、私は手で制した。
「そうかまわないでくれ、長居をするつもりはないんだ」
「7年ぶりに会ったっていうのに、そんな言い草はないでしょう」
憮然とした調子で言い返してはいるが、彼女はそう暇そうではない。
さっきも陰干しするためにひもで薬草を束ねていたところだった。
それに、まだ揺りかごで寝ている赤ん坊がいる。
生後どれぐらいたっているのか分からないが、何かと手が離せないはずだ。
「赤子もいるし、何かと忙しいはずだ。それに、ご主人も戻ってくるのだろう? 聞いておきたいことがあったから訪ねたまでのこと。迷惑をかけに来たわけではないんだ」
何がおかしかったのか、エレミアはふっと笑った。
「そういうかわいげのないところは、全く変わっていないのね」
「ふん、仕方ないだろう。性格なんてそう簡単に変わらない」
思いがけず、昔よくいわれていた言葉をかけられて、私は自嘲気味にいった。
「しょうがないわね。また訪ねてくれるって約束するなら、まあ許してあげる。でもお茶ぐらいはごちそうさせてよ。ハーブはうちの主力作物の一つなんだから」
分かったといおうとしたところで、奥の部屋から赤子がぐずり出すような声が聞こえてきた。
私が来たせいで、起き出してしまったのだろう。
「まったく、間の悪い子ね。誰に似たのかしら」
エレミアは奥に引っ込むと、赤子をあやしながらこちらにやってきた。
「この春に生まれたばかりで、今ちょうど6ヶ月ね。1番上の女の子が10歳、2番目の男の子は7歳だからかなり間が空いたわ。赤子の世話なんてずいぶん久しぶりだから、何となく気ぜわしいけれど」
エレミアの腕に抱かれている赤子は、目元が彼女にそっくりだった。
「女の子か?」
「ええ、そうなの。ステラって名前よ。あまり一度にたくさんおっぱいを飲んでくれなくてね。最近は落ち着いた方だけど、夜泣きがひどかったわ。だっこしてみる?」
エレミアは腕をこちらに差し出したが、私は首を振った。
「いや、いい」
赤子の扱いなんて慣れていないし、第一、落としてしまったりしたら大変だ。
「ふふふ。ひどいわね。ある意味では義理の妹なのに」
思いがけないことをいわれて、私は少し面食らった。
「い、妹だなんて・・・。私は拾われ者だ。それにあなたを母だと思ったことはない」
実際、私は幼少の頃からエレミアのことはエレミアと呼んでいて母とは呼ばなかった。
フレッドのことは、曲がりなりにも父と呼んでいたが、エレミアのことを母と呼んだことはない。
では姉かといわれれば、そういう存在でもない。
実質的に母親と同じような役割を果たしてくれたのは彼女だったと聞いているし、衣食住にまつわる細々とした世話を焼いてもらった記憶もある。
困ったことが起きた時に、真っ先に泣きつきに行く先も彼女だった。
「じゃあ、姪っ子でも何でもいいわ。お茶を入れてくるまで、代わりにだっこしててちょうだい」
「い、いや、もし落としたり、壊したりしてしまっては・・・」
断ろうとしたのにもかかわらず、エレミアは強引に私の腕に赤子を抱かせて行ってしまった。
オロオロしているうちに、腕の中の赤子は本格的に目覚めてしまったらしい。
見ず知らずの男が自分を抱いていることに気づいたようで、ここぞとばかりに大きな声で泣き出してしまった。
「ウギャ~!!! ウギャ~!!!」
明らかに怖がっているらしいことは分かるのだが、どう対処していいのかわからない。
「よしよし」
とりあえず、お尻のあたりを軽くぽんぽんと叩きながら体を揺すってみるが、さっぱり効果がない。
それどころか、手足をバタバタさせて私に抱かれることを全力で拒否しているようにしか見えない。
「ワギャ~!!!」
「ああ、いい子だから泣きやむんだ。よしよし」
「ウンギャ~!!!」
「よしよし。ほら、外はいい天気だぞ」
赤子の注意を他に向けるため、私は抱き方を変えて顔が外に向くようにした。
しかし何をやっても逆効果らしく、泣き声がだんだん大きくなっていく。
私は途方に暮れて、赤子が泣き続けるのに任せるしかなかった。
「ふっふっふっふっふっふ。本当にあやし方が下手ね」
困り果てていたところに、ようやくエレミアが戻って来た。トレーの上に、二つのカップをのせて。
「下手も何も、赤子を抱くのが初めてなんだ。早く引き取ってくれ」
エレミアは私たちの様子を笑いながらみていたが、カップをテーブルの上にのせてトレーを置くと、ようやくステラを抱き取った。
彼女が抱くと、ステラは落ち着きを取り戻したらしく、ぴたりと泣きやんだ。
「気にしなくていいわ。これは人見知りといってね。だいたい生まれて数ヶ月たつと、見なれない人に警戒心を持つようになるのよ」
「そういうものなのか?」
てっきり私の抱き方が悪いか、あやし方が悪いせいかと思ったのだが。
「ええ。だって、誰彼かまわずニコニコしていたら危険でしょ? すぐにさらわれてしまうわ」
「う、うう、まあ、確かにそうだな」
もしかしたら、私もそうやって龍にさらわれてきたのかもしれないのだ。
いや、むしろそうであって欲しかった。
別にアーロンがいっていたことを信じていないわけではない。
だが、やはり自分が人間ではないという事実は認めたくはないし信じたくはないという気持ちがある。
「さあ、狭苦しいところだけど座って。主人は商用でカールとの国境付近まで出かけていて夕方にならないと戻らないわ。昼ご飯も済ませて、子どもたちも森に遊びに行ってしまったから、世話を焼かなければいけないのはこの子だけよ」
「すまない」
私はそういって、椅子に腰を下ろした。
椅子は全部で4脚ある。普段は家族で囲む食卓だろう。
「生のレモングラスとペパーミントにお湯を注いで作ったお茶よ。乾燥させたものよりも刺激のない、優しい味がするわ」
勧められるままに、カップに口をつけて味を見る。
さわやかなレモンの香りとミントの香りが相まって、何ともいえない清涼感を感じた。
腹が暖まるのにもかかわらず、スーッとさわやかな風が体内を駆けるような、不思議な飲み応えがある。
「確かにうまい。自慢するだけのことはある」
「ありがとう。悪いけど、この子にもそろそろおっぱいをあげる時間だから、ちょっと失礼するわね」
エレミアはそう断ると、いきなり洋服の前をはだけて乳房を出し、ステラに咥えさせた。その様子を見て、私ははたと不思議になった。
私自身は、いったいどうやって育てられたのだ?
まだ未婚で赤子がいなかったエレミアに授乳は可能だったのだろうか。
いや、いくらなんでもそんなことはないはずだ。
「あ、あの、ちょっと聞いてもいいか?」
私が改まって話を切り出したと思ったらしく、エレミアは少し身構えた。
「え、ええ。そういえば、聞きたいことがあるっていってたわね」
「あ、ああ。だが、それとは別に、いや、関連してはいるのだが・・・私自身はどうやって育ったんだ? つ、つまり、誰から乳をもらっていたんだ?」
その質問があまりにも意外だったのか、エレミアは一瞬きょとんとした表情になった。
「ああ、半分はね、いわゆるもらい乳をしたのよ」
「は? もらいぢち?」
耳慣れない言葉を聞いて、私は思わずおうむ返しで質問を返した。
「ええ。体質や栄養状態によっては、出産直後でも赤ちゃんを育てるために十分なお乳が出ない場合があるのよ。そういう場合、お乳の出がいい別のお母さんから授乳してもらうってことが多いわ。後は山羊の乳とか牛乳を薄めて飲ませることがほとんどね。あなたもそうよ。うち、山羊と羊だけはたくさんいたじゃない?」
そういうことだったのか。
確かに家畜を見てきた限りでは、搾乳可能な時期は限られていた。
なぜなのかとフレッドに尋ねると、子どもが草を食べられるようになるまでの間しか母乳は出ないものなのだと教えられた。
「これは人間でもおんなじだ。女は男に比べてでかい乳を持ってるが、年がら年中乳が出るわけじゃねえ。赤ん坊が生まれてしばらくの間だけなんだ」
あの時はそういうものなのかと気にもとめずに聞き流していたが、よくよく考えたら拾われ子の私はどうだったのかとなぜその時に聞かなかったのだろう。
「そうか。思い返してみると、山羊や牛から搾乳できる時期が限られている理由を教わっていたはずなんだがな」
「ふふふ。まあ、そんなもんよ。山羊の搾乳をみて、自分はどうだったのかなんてあんまり考えないわよ。この子も少しずつだけど離乳食をはじめているのよ。味をつけていないマッシュポテトに水を加えたものとか、水っぽいお粥とかを日に一回ぐらいずつね」
エレミアの腕の中で、満足そうに乳を飲んでいるステラの様子を見るとはなしに見つめていても、自分がかつてどのように育てられたのかまったく想像がつかなかった。