第1章 龍を探しに(3)

 剣を習う以上に疲れた。それがバランの率直な感想だった。
マーカスは手加減も見境もなく、次々に知りうる限りの呪文をバランに契約させたのだった。
剣の稽古をしたわけでも、山仕事をしたわけでもないのに、バランはふらふらになりながら道場への帰途についたことを今でもよく覚えている。

(いったい、私は魔法に向いているのだろうか)

 頭の芯が熱でほてっているような奇妙な疲れ方をしているのにもかかわらず、頭の中で同じ考えがグルグル回って止まらない。
その感覚は、今でも魔法の訓練をするとよく感じるものと同じだった。

 火炎、閃熱、爆裂系の呪文契約ができたのはいい。いずれも熱エネルギー操作が必要で系統としては近い呪文であろうことは推測がつく。
氷系や真空系呪文などもまだ認めよう。攻撃呪文という点では同じカテゴリーに入る。
瞬間移動呪文が契約できたのもいい。本当に使えるなら実に便利だ。

 しかし、補助攻撃系の呪文のみならず回復呪文まで契約できてしまったというのは一体どういうことなのか?

「フォッフォッフォッフォ。お主、ずいぶん見境のない奴じゃのう」
契約できる呪文の系統が、あまりに多岐にわたるのをみて、マーカスは楽しそうに笑っていた。

(まったく、どっちがだ)
バランは内心あきれて毒づいた。見境なしに契約を進めているのは、他ならぬマーカスなのだから。

「もう勘弁願いたい。さすがにふらふらしてきた」
さらに契約を続けようとするマーカスをさえぎり、バランはその場に座り込んで頭を押さえた。
なんだか、今までにない変な疲れ方をしているのだ。

「今日のところはこれぐらいのしておくかの。つくづく面白い奴じゃ。今のところ契約そのものができなかったのは火竜変化呪文(ドラゴラム)のみとはの!」
ようやく解放された。バランがそう思ったのもつかの間、マーカスはさらに無茶な要求をしてきた。

「よし。ものは試しじゃ、手当たり次第使ってみようぞ!」

 正直げんなりしたものの、バランはすぐに浮かれた足取りで外へ出て行ったマーカスの後を追った。
この人の良さそうな老人は、新たな弟子が、多種多様な呪文契約を結べたことを単純に喜んでいるのだと分かったからだ。

 道場の裏手、崖と川に挟まれた広い空き地には木製の杭が等間隔に打ち込まれている。
そこでマーカスは、わざわざバランが契約できた攻撃呪文の類を一通り唱えてくれた。
それに続いて、バランも呪文を唱えたものの、何一つ発動しなかった。
想像力、意志力、集中力。それらをしっかりと意識した上で呪文を唱えたのにもかかわらずである。

「まあ、そう焦らずとも、魔法力と素質そのものはあるようじゃからの。次回は契約の続きと、魔法力放出のトレーニング法、瞑想について説明する。今日はここまでじゃ」

 マーカスに礼を述べて道場を辞したのは既に日が傾いた頃だった。
その日に起ったこと、いわれたことを逐一ふり返りつつ、バランはどうも腑に落ちない思いにとらわれていた。
確かにずいぶん多くの系統にまたがって呪文契約ができた。

 しかし、試しに呪文を唱えても何も起らなかった。
真空呪文を唱えても風一つ起こせなかったし、火炎呪文を唱えても一片の炎さえ出る様子がない。
そんな状態で本当にいいのだろうか?
焦る必要はないといわれても、やはり素質がないのではないか?

 つらつらと、考えてもどうしようもないことだと思いながら道場への帰途を急いだのだが、まさかその考えを数ヶ月も引きずることになろうとは。
結局、なぜか魔法自体は全く発動しないままだったのである。
決して魔法力そのものを持ち合わせていなかったわけではない。
トレーニング方法を伝授され、何度も魔法力をコントロールする訓練をした。
そして、魔法力そのものを体から放出することには何度も成功した。

 だが呪文を唱えても、その魔法力は魔法として顕現しなかった。
原因は分からない。ただ単に才能がないだけかもしれない。
剣術においては自分でも予想以上の上達を遂げたばかりとあって、この時ばかりは非常に落胆した。

 どんなに努力しても上達しない現実に突き当たって、努力しても理想通りに上達しない者の苦しみを、ようやく理解した。
とはいえ、そんな状況に甘んじていたくはなかった。
これではせっかく魔法の習得を勧めてくれたルギウスに申し訳が立たない。
以来、瞑想はほぼ日々の日課になったと言っていいぐらい続けた。残念ながらその効果はなかったのだが。

 1ヶ月たって初級呪文一つ使えないバランに、マーカスが言った。
「まだ時が満ちていないのかもしれんな」
「時が満ちていない?」
さっぱり意味の分からない言葉に、バランは思わずおうむ返しで答えた。

「そう。剣術においても、ある状況を過ぎると一気に腕が上がる時期というものがあるじゃろう。魔法の修練は、剣術ほど徐々に実力が上がっていくものではない。ある種のコツというか、気づきのようなものを得たとたん、一気に使える魔法が増える時期が来ることがあるんじゃよ。才能がないと見切りをつけるには、おまえはまだ若すぎる。少なくとも、あと3年ぐらいは修練を続けてみたほうがよいじゃろ」
マーカスの言葉を気休めと慰めのための言葉とは思いたくなかった。
だから、トレーニングと瞑想は今も欠かしていない。

 それから4ヶ月がたったが、事態打開の兆しは今のところない。
剣術にしても魔法にしても、ここにいて上達できる範囲は終わった。ちょうどそんな気がしはじめていた。
後は、自分で修行に励むなり、さらに腕の立つ人間を捜すなりするしかないだろう。

 そう思っていた矢先の龍退治依頼だった。まさに渡りに船というやつだ。
だからバランとしては、龍など退治できてもできなくても構わないのである。
龍退治に行くと言ってこのまま道場を出奔するのもよし。
実際に龍と立ち回りを演じてもよし。

 だが、バランとしてはここで死ぬつもりはなかった。
それにもかかわらず、このテラン北部の森の深奥にある原生林に足を踏み入れたのは、龍というものを一目見てみたいという好奇心によるものだった。

 物心ついて以来育ったフォーレスの谷を離れるまで、バランはずっと龍にさらわれてきた赤子だと言われ続けてきた。
「龍のさらわれ子」「龍の食い残し」――谷の人間たちは、そう言ってバランのことを忌み嫌い、敬遠した。
侮蔑の視線を、言葉を、常に真正面から受けて、そのすべてを、バランは力一杯跳ね返してきた。

 自分の記憶にない出来事を根拠に、勝手に自分の出自をあれこれと語られることが嫌いだった。
自分のあずかり知らないところで、勝手に自分にまつわる「物語」が作られ、付与されることに、バランは我慢がならなかった。

「そんなもの、ただ単に周りの人間が言う物語に過ぎん」
養父のフレッドが亡くなり、当時9歳のバランを引き取った木こりのオーランドは、そう言ってその「物語」を一笑に付した。

 そんなことを言う大人は初めてだったので、新鮮な驚きを覚えたものだ。
オーランドはずっとバランが差別されてきた「起源としての物語」を下らぬ言いがかりとして退けてしまったのだった。

 頑固で偏屈で気性が荒い男だったが、それでもオーランドとの生活が決して悪いものに思えなかったのは、ひとえに彼の持ついい意味での豪胆さに寄るところが大きかった。

「ある人間をいけ好かないと思うから、何彼と言いがかりをつけて攻撃するのだ。おまえが本当にさらわれ子であることを、いまここで証明することができるか? そんなもの、おまえを攻撃するために都合のいい言いがかりだと考えてみろ。その方が、おまえにとってはよほどつじつまが合うと思わんか?」

 確かにその通りではあった。しかし、バランにとってその話は決して無視できるものではなかった。

 なぜならそれは、彼を拾って5歳まで実質的に母親代わりとなって養育してくれた、エレミアから聞かされていた話だったから。

 エレミアは高原で放牧していた山羊や羊たちの番をしている時に、どこからともなく飛んできた白いものが、山の上に落ちたのを目撃した。
いや、落ちたというより、舞い降りてきたという方が妥当で、彼女は好奇心からその白いものが何であるかを確かめに行ったのだ。
頂上付近の木立をかき分けるようにして歩いていると、白く光る何か大きなものが動いている。
 それが白い光に包まれた龍であると分かった時には、その白い龍に見つめられていた。
龍の前足には、生後間もない眠っている赤子が抱かれている。
彼女の姿を認めた龍は、その赤子を地面におろし、上空へ飛び去っていった。

 それが、いわばバランにとっての起源の物語だった。
自分をこの世に誕生させてくれた父も母も分からない。

 だからこそ、自分をどこかからあのフォーレスの谷に運んできた龍という種族を見てみたいと思った。
足音をひそめつつ、一歩一歩森の奥へと歩を進めた。
龍は非常に目がいい。かつ耳もいい。
だから自分ごときが足音をひそめたところで、向こうは既にお見通し、いや、お聞き通しである可能性が高い。

 それでも、警戒しつつ接近する人間がいることを向こうにそれとなく知らせることは、下手に刺激を与えるよりましだろう。
とはいえ、近隣の村の住人たちから聞く限りにおいて、それほど危険な龍であるとは思えなかったが。

 比較的丈の低い木が林立するあたりを抜けると、突如としてそれは現れた。

 森の中にぽっかりと空いた、そこだけ木が生えていない空間。
そこにねずみ色っぽい鱗と、コウモリのような翼を持った翼龍がいた。
薄暗い森の中で、それは非常に美しく見えた。
鱗は光を乱反射していた。いぶし銀のような光沢を持った鱗が、龍の動きに合わせて不思議な色合いに光った。
頭頂部から二本の角がすくっと伸び、額から後頭部、首のあたりまで馬のたてがみのようにトサカが生えている。
牛のように黒くて大きな鼻、しっかりとした意志を宿している瞳。
鋭い爪を備えていることを除けば、ほとんど人間と変わらない形の五本指の手。
バランは半ば呆然と、龍たちの姿を眺めていた。

 だが、それは龍たちにしても同じだった。
突如現れた予想外の来客に、龍たちは動きを止めてバランの姿を凝視していた。
だがバランに最も近い龍は我に返ると、慌てたようにバランと距離をとり、森の奥へ移動した。

「ど、どどどどどドラゴンの騎士!!」

 突如発せられた言葉に、バランは驚愕して剣を抜いた。

 自分以外にも誰かが、ここで龍と一戦を交えているのか。
次々に辺りからどよめきのような声が上がった。
何度も辺りを見渡すが、バランの眼には人影は見えない。

 やがて森の奥に引っ込んだ龍と入れ替わるように、長い角を持った龍が森の奥から姿を現わした。
「よくぞ参られた。ドラゴンの騎士よ」

その言葉は、確かにその龍から発せられた。しわがれた、人間で言えば相当な老人のような声だった。

 バランはしばらく言葉を失っていた。
今の言葉は、確かに龍から発せられた。しかし、龍がしゃべるなどと今まで聞いた試しはない。

「ドラゴンの騎士だと? なんだそれは。そもそも龍がしゃべるなんて聞いたこともない。貴様ら本当にただの龍なのか?」

混乱していた。龍がしゃべっているということは、魔法を使って龍に姿を変えた人間たちの集団ではないのか。

 バランは警戒を解かなかった。剣を構えたまま声を発した龍を凝視した。
下手をすると、ただの龍よりも厄介な存在かもしれない。
そんな疑念が脳裏から離れなかった。

驚愕し、警戒するバランにその龍は静かに言葉を返した。
「どうやら、おまえはドラゴンの騎士の力に覚醒していないらしい。だが、本人が分からなくても我々は分かる。たとえ姿形は人間にしか見えなくとも。身にまとう音を聞けば一耳瞭然じゃ」

言われていることがさっぱり理解できないので、バランは沈黙を保った。

「まあ、そう構えずともあと数年もすればおまえも色々なことを「思い出す」じゃろう。龍の中には我々のように言葉を話せるものもいる。地上にいる龍の中ではすっかり少数派となってしまったがね」

「言われていることの意味が、さっぱり理解できんのだが。とりあえずおまえたちは人間が龍に化けたのではなく、しゃべる龍であると理解してよいのだな?」

バランが言葉を返すと、その龍は静かに笑った。
「そういうことだ。あと数年もすれば、おまえは自分がドラゴンの騎士であることとともに色々なことを知り、理解するようになるじゃろう。ところで騎士よ、おまえは何を求めてこの森の深奥まで来た?」

 ドラゴンの騎士とは一体何かと聞こうとしていたのに、龍はそれをはぐらかすようにいきなり用件を聞いてきた。

「この土地の人間から貴様らを退治するよう依頼されてきた。だが、話が通じるなら幸いだ。悪いが人間の生活空間からもう少し離れて欲しい。できれば数ヶ月間ほど人間に接触しないよう気を配ってくれるとありがたい」

バランの要求がよほど予想外だったらしく、その龍は不思議そうにバランに尋ねる。
「我々を退治しなくてよいのか? おまえにはそれができる。しかもたやすくな」
「かまわん。戦わずに済むならそれに越したことはあるまい。互いにな」

 周囲の龍たちもよほど驚いたらしく、辺りはバランがやってきた時以上のどよめきに包まれた。
「覚醒前だというのにずいぶん変わった騎士様じゃ。さっぱり人間くささがない。我々を倒し、首なり何なり体の一部を持ち帰れば、龍殺しとして人間の間では英雄になれるじゃろうに。それを目当てに、何人かの人間は我々を求めてここまでやって来た」

そんな人間どもと一括りにされるなど心外だと思ったが、バランはあえて言葉には出さなかった。

「興味がない。人の好意や尊敬など、所詮一時的なもの」
「しかしこのまま手ぶらでは戻れまい。龍を恐れて逃げ帰ってきたという不名誉な評判がつきまとうことになるじゃろう」

 今度はバランが驚く番だった。人間側の事情をこうも理解しているばかりか、バランに対してそれとなく気遣いまでしてくれている。

「べつにもといた場所に戻る義理もない。このまま姿を消せば、死んだか逃げたということになるだろう。それより教えて欲しい。ドラゴンの騎士とは何なのだ?」
そう言って剣を鞘に収め、バランはあらためてその長老格とおぼしき龍に向き合った。


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