第1章 龍を探しに(2)

 ルギウスに勧められ、道場に居候を続けながら魔法使いのマーカスの塾に通った。
まず教わったのは魔法の基礎中の基礎だった。

「お主、魔法を使っている場面に立ち会ったことはあるかね?」
マーカスは長く伸びたあごひげをしごきながらバランに問いかけた。
年齢不詳。とにかくかくしゃくとした年寄りというのがぴったりの老人、それがマーカスだった。
やや浮世離れしたような不思議な風格を漂わせ、誰に対してもゆっくりと独特のイントネーションで話す。

「はい、回復呪文を唱えている様を間近で見たことがあります」
そう答えたバランはみぞおちのあたりに重い石が引っかかったような気分になった。

「ほう、回復呪文か。お主がかけてもらったわけではないんかえ?」
そんなバランの苦悩には全く気づいていないらしく、マーカスは相も変わらずやわらかなイントネーションで問い返した。

「ええ」
言葉少なにバランが答えると、マーカスはおもむろに立ち上がった。

「メラ!!!」

さきっきまでとは打って変わって鋭い声で呪文を唱えると、客間中央に作り付けられた暖炉に火がついた。

「便利さでいえば回復系の呪文が、まあ、一番じゃろが、目に見えてわかりやすいのはやはりこれかの。バランよ、お主はなぜ「メラ」と唱えるとこのように炎が出現するのか知っとるか?」

 あまりに予想外の質問に、バランは言葉を失った。

バランの顔があまりにもきょとんとしているのがおかしかったらしく、マーカスは声を上げた笑った。
「フォッフォッフォッフォ。そうじゃな、たとえば「ほのお!!!」と叫んでも、このとおり炎は出ん」
確かに、彼の手のひらからは炎の片鱗さえ出現しない。

「しかし「ヒャド!!!」と唱えると」
呪文の詠唱とともに小さな氷の塊が出現し、暖炉で広がりつつあった炎を消し止めた。
「まあ、このとおりじゃ。呪文とそれによって引き起こされる現象は基本的には分かちがたく結びついている。あくまで基本的にじゃがの。お主、暖炉の薪に手を向けて「メラ」と唱えてみよ」

唐突な要求に思わずバランは飛び上がりそうになった。
「ええっ!? 私がですか? 魔法の修練どころか基礎さえ知らないというのに!?」
生まれて初めて剣を見た人間に、これで戦えという以上に無茶な要求だ。

「そう、基礎を知らないからこそじゃ。わしがやったのをただ真似てみよ」
マーカスは人差し指をピンと立てると、ウィンクして笑った。
(バランは後で知ったことだが、ちょっとしたいたずら心を発揮する時、この老人はしばしばこの仕草をした)

 できるわけがない。そう思ったが、マーカスには何か含むところがあるらしい。
バランは立ち上がって暖炉に近寄った。
燃え残りの薪を睨み付け、手をかざす。
「メラ!!!」
腹に力を入れた呪文を唱えるも、当然ながら、一片の炎さえ出現しない。

「なぜ、わしにはできてお主にはできないか、理由を知っているかえ?」

「魔法力がない、から、ですか?」
バランは聞きかじった知識を元に答える。剣とも魔法ともほとんど縁のない、それどころか養父以外の人間に会うことさえ滅多にない山奥で生活してきた。
だから、並みの人間の一般的教養でさえ、バランにはおぼつかなかった。

「可能性は二つある。まず大前提として、呪文を使うためには精霊との契約が必要だ。お主はそれを済ませていないじゃろ? じゃから、「メラ」と唱えても炎が出んのは当たり前じゃ」
狐につままれたような気分で、バランは黙ったままマーカスを見つめていた。

「呪文を使う前提として、まず契約というものが必要なのじゃ」
マーカスは再び元の椅子に腰掛けると、バランにも、手で座るように指示を出した。
「炎や水、風などの自然霊、そして天界にいる精霊。呪文によって契約相手と契約方法は若干異なるが、基本は同じじゃ。そして契約の際、契約相手はお主がその呪文を使うに値する存在であるか品定めをする。ここでは、まだ魔法力は関係ない。たとえ魔法力がふんだんにあっても、どうしても契約できない魔法は存在する」

 魔法に関する基礎的知識さえないバランにとっては、どれも初耳で、なおかつ要領を得ない話ばかりだった。

「つまり、どの魔法が使えるようになるのかは事前に分からないということですか?」

「そうじゃ、お主、鋭いの」
マーカスは何やらうれしそうに笑みを浮かべながらバランを見つめている。
「ある程度推測ができる場合もあるにはあるがの。まあ両親のうちどちらかが魔法使いであれば、その子どももそこそこ魔法が使えることはある。じゃが、親が契約できた呪文をその子どもが契約できないことはざらにあるし、その逆もよくある。こればっかりは試してみんと分からんのじゃ。ところでお主、あのルギウスが師範代と認めるぐらい剣ができるようじゃの」

「え、ええ。一応」
唐突に話題を変えられ、少しどぎまぎしながらバランは答えた。

「それじゃ、魔法の修練には逆に苦労することになるじゃろ」

「戦士が呪文を使えるようになることはほとんどないんですか?」
もしそうなら、師匠はなぜ私をここによこしたんだろう。そんな疑問がバランの頭を一瞬かすめた。

「一般的にそう信じられておるが、それは必ずしも真実ではない。剣士や武闘家のように自らの体を使って戦う時の力の使い方と、魔法使いや僧侶が呪文を使う時の力の使い方には大きな差がある。どちらに向いているかという適性の問題はあるが、呪文契約が成立している場合、修練次第では戦士でも呪文を使えるようになる。ただし、専業の魔法使いよりも多くの時間がかかるがの。で、どうじゃ? 試しに何か契約してみるかいの?」

 マーカスはバランの返事を待たず、彼の背後にある本棚から、明らかに使い古したことが分かる本を数冊引っ張り出した。
「まずは攻撃呪文の基本であり、花形の火炎呪文からいってみるかの?」
そういうマーカスはひどく楽しそうに見えた。

「ほれ、まずはそこの五芒星の魔方陣の中央に立つんじゃ」

暖炉の向かって右隣、すなわちバランの背後の床に魔方陣が刻まれている。

「足は肩幅ぐらいに開いての。あまり肩に力を入れず、体重を両足に均等にかける。そうじゃ、そうそう」
マーカスにいわれるままに魔方陣の上にたったものの、バランは緊張して息が詰まるような感覚を覚えていた。

「ところで、炎の精霊の名はしっておろう?」
「サラマンダー、です」
それぐらいの基礎知識なら、何とか知ってはいる。

「ご名答! 心を静めて、今からわしのいう契約の言葉を復唱するんじゃ。『炎の精霊サラマンダーよ、我の呼びかけに応じ、その力を我に貸し与えたまえ』」
「『炎の精霊サラマンダーよ、我の呼びかけに応じ、その力を我に貸し与えたまえ』」

 いきなり、足元の魔方陣が発火した。バランは慌てて飛び退こうとしたが、魔方陣から吹き出した炎は全く熱さを感じさせなかった。

「フォッフォッフォッフォ。こいつは上出来じゃ! お主、今すぐには無理でも、そのうち火炎呪文は使えそうじゃの」

 バランは呆然として自らの足元を眺めていた。
「これ、何で熱くないんですか?」
「そりゃ当然というものじゃ」
マーカスはさもおかしそうに、なおかつ楽しそうに笑った。
「火炎呪文を使うたびにやけどをしておったら、魔法使いの身がもたんじゃろうて」

 バランが見つめているうちに、炎は次第に小さくなり、やがて完全に消えた。
「少なくとも、サラマンダーには気に入ってもらえたようじゃの。今の契約を見て分かったが、お主、見かけによらずそこそこ魔法力があるぞい。じゃが、問題はここからじゃ。まあ、座れい」

 マーカスの指示に従い、バランは再び椅子に腰を下ろした。

「呪文を使用するためには、契約が必要といったが、ここからは少し複雑での。少し根本的な話をしようぞ。まず契約ができるかできないかという問題がある。今のように、契約の言葉を唱えて魔方陣が何らかの反応を示せば、契約成立じゃ。無反応の場合、契約無効。つまりその呪文には適性がない。とにかく知りうる限りの契約の言葉を手当たり次第に唱えて行くと、だいたい己の適性が分かる。たいてい攻撃呪文か回復呪文どちらかに適性が偏ることが多いがの」

そこまで話すと、マーカスは咳払いをした。バランは無言で話の続きを待った。

「ところで、契約できた呪文と実際に使える呪文は必ずしも一致しない。というより、そこそこ修練を積んでも、圧倒的に契約できても使えない呪文の方が多い場合がほとんどなんじゃ」

「それは、魔法力不足ということですか?」
バランが問いかけると、マーカスは人差し指をピンと立てた。

「むろん、それもある。じゃが、経験とそれ以外の要因も絡んできての」
「それ以外の要因?」
「そうじゃ」マーカスは大きくうなずいた。「ところでお主、さっそく暖炉に火をつけてみよ」

「は、はい」
バランは再び暖炉に歩み寄ると、薪めがけて呪文を唱えた。
「メラッ!!!」

 しかし、先ほど契約はできたはずなのに全く炎が現れない。

「どうじゃ、思うように発動せんじゃろ?」

何がいけないのか。バランにはさっぱり分からなかった。

「バランよ、魔法の発動に必要なものは何か分かるかえ?」
「契約と魔法力。正しくはっきりと呪文を唱えること。それぐらいしか私には思いつかないのですが」
マーカスはニコニコと微笑みながら何度もうなづいた。
「お主がいったことはみな正解じゃ。だがそのうえさらに必要なものがある。それこそが魔法が魔法たるゆえんじゃ。ところで、先になぜ「メラ」と唱えると炎が出現するのか分かるかと尋ねたが、呪文というのは契約者から精霊へ向けての一種の号令のようなもの。よって契約が成立していて、魔法力があり、呪文を知っていることが発動の最低条件となる。じゃが、お主が今使えなかったように、これだけですべての者が使えるようになるわけではないんじゃ」

 そこまで話すと、マーカスは一呼吸おいた。
「魔法を使えるようになるために必要なもの、それは、魔法を発動させるという強い意志力、その呪文によってどのような現象を起こしたいのかを脳裏に描く想像力、その二つの力を行使するための集中力。この三つが魔法の発現に重要だとされておる」

 バランはいささかひるんだ。剣を扱うのとでは訳が違うのがよく分かったのだ。

それを見て取ったのか、マーカスはさらに笑みをたたえた。
「心を無にし、剣と一体になることで相手の攻撃に俊敏に反応し、時に相手の動きの先を読む。それこそが剣士の戦い方じゃ。自らの力、すなわち闘気を自らの肉体に集中する必要がある。しかし、魔法というのは何よりも意志力と想像力が基本にある。同じ生命エネルギーの一種とはいえ、闘気をコントロールすることと魔法力をコントロールすることは通常、両立し得ない。それゆえ、戦士として基礎が固まってしまった者は魔法を使うことが困難となる。とはいえ不可能とまではいえんよ」

 マーカスは「どっこいしょ」といいながら腰を上げると、再び本棚に向かった。

「古代にすたれた呪文があるという話は、お主、聞いたことがあるかえ?」
背中を向けながら、唐突に質問を投げかけてくる。

「ええ。大昔に魔法が今よりも大きな力を持っていた時代があって、一瞬にして陸を海に変えてしまったことがあると聞いたことがあります」

 強大な魔法を駆使して地上を支配した古代王国の伝説は、いまでも子どもたちを寝かしつける際の定番の物語だ。

「そうじゃ。かつてはそうした強大な呪文が存在した。今でもいわくつきとされる呪文の、契約の言葉自体は伝わっておるんじゃよ。しかしもちろん、使える者はおらん。なぜじゃと思う?」
「あまりに恐ろしすぎて、誰も契約していないからでは?」

バランの疑問形による返答に、マーカスはいたずらっぽく笑った。
「じつはの。わし、契約済じゃ」
「え、えーっ?」

 驚いて言葉を失っているバランを、マーカスはおどけたように見返した。
「じゃがもちろん使えん。契約は成立していてもじゃ。わしの他にも、契約だけはしてみたという魔法使い仲間はたくさんおる。ここが魔法の面白いところでな。その呪文を唱えた結果、どうなるのか想像できない場合、魔法はうまく発動せんのじゃ。つまり、呪文と契約の言葉はあっても、その効果が伝えられていない場合、大抵は発動できずに終わるんじゃ。よって、効果が忘れ去られた古代の呪文や、効果は知られているが契約の言葉が失われている呪文などがいくつも存在しておる。魔法というのは、何よりも想像力がものをいうんじゃ」

マーカスは本棚から引き出した本を抱えて、テーブルの上に積み上げた。
「さて、とりあえず手当たり次第契約を試した上で、魔法力トレーニングに入ろうかの」


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