諒王挽歌(『ファシュリア古歌謡集』抜粋)

諒王挽歌

かけまくも あやにかしこし ちはやぶる 神の御代に
三栗の 中つ御柱 い立たせる 西の国より
荒波を 八重かきわけて 星降る 辰ヶ丘に
宮柱 太敷きいまして 天の下 しらしめしし
遠つ代の 王の御祖は 真木立つ 荒山道を
岩が根 さえきおしなべ まつろはぬ 国を治めと
霧深き 桐山越えて 赤州なる 大川渡り
辰宿る 淡海の宮に 天かけり 降りましぬ
草騒ぐ 荒地の国を 煙立つ うまし国
木綿花の 栄える国と 成したまひし わが大君は
太刀をとり 弓取り持ちて 天離る 夷にはあれど
風渡る 青き山辺に 国求め 分け入りけるに
いかさまに おもほしめせか 雲隠り 隠りいましぬ
入る日は 朝にのぼり 入る月は 夕照らましを
時ならず 去にし君は 恋ふれども 逢ふすべをなみ
い匍ひ臥し い匍ひもとほり 嘆けども せむすべしらに
青垣の 水垣山に 丹塗り船 海辺を指して
黒川を 下りいまして 遠つ国 黄泉の堺を
しらさむと 大海原を 渡り行きけり

反歌

ぬばたまの 黒き大川 瀬を速み 過ぎにし時を とどむすべなし

右の歌は諒王身罷りし時に妃等が嘆きて詠唱せり。史伝に曰く諒王一六年に青龍大いに騒けり。王青龍より逃れんがため群臣を悉く従へて黒川を目指すも、病のために倒れぬ。王は黒川を陵と成し、黄泉の王となれり。今に土蛇の王といふは諒王を指すなり。

右はユリーツィアの古書の抜粋である。現在当地で詠唱される挽歌はこれより短く、若干異同があるが、文字として記録されたものでは最古のものと思われるので忠実に転写した。